2012年6月10日日曜日

Günter Wandを聴く

私、TVはあまり見ないのだが、その理由はくだらない番組ばかりの一語に尽きる。特にゴールデンタイムに放映されている下品な芸をこれでもかと押しつけられる事には辟易している。人の美醜についてとやかくいうつもりはないが、話題、行動、芸風どれを取り上げても最早、美学的犯罪を犯しているとしか思えない。それらを芸と呼ぶには余りにも寂しく思えてならない。公共の電波を使ってこのようなものを見せられるのには不快感を感じる。限りなく低俗で面白くなく下品に感じるのである。そんな理由でニュースや芸術番組以外は興味をそそられない。決して安いとは言えない某国営放送も最近はどうも信用が出来ないと感じている。今朝は早く起きて新聞に目を通していると国営放送の「ららら・クラシック」という番組欄にギュンター・ヴァントの名前があった。ヴァントは私の大好きなブルックナーの演奏で有名だが、解説では20世紀最後の巨匠で指揮者による独自の解釈を排除した折り目正しい演奏を聴かせてくれると言うことだった。作曲されたものはそれ自体完成品で後世の我々が余計な解釈をすべきではないという姿勢には共感を感じた。クラシックギターの演奏でも巨匠と言われた人のそれには時として違和感を感じるものがある。装飾音、トリル、ビブラート等々「○○節だ!(歌謡曲じゃないよ!!!)」と思わず言いたくなる。近年の演奏家は、いかに演奏すると良いのか研究されている人が多いので比較的安心して聴ける。さて、本題のヴァントの演奏だがハフナーと「運命」の二曲で北ドイツ放送交響楽団とN響の演奏だった。指揮者ヴァント70歳の演奏だが大器晩成と言われた由縁が伝わってきたように思った。

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