2012年10月25日木曜日

空豆・豌豆の種を蒔く

 昨日は母の従姉妹のおばさんにお別れをした。子どもの頃からよく言葉をかけてくれた親戚のおばさんで、いざお暇となると寂しさもひとしおであった。同じ縁者とは言え自分とどれだけ関わりがあったかどうかと言うことで悲しさの度合いも違ってくる。葬儀の挨拶のくだりに、路傍に捨てられた猫を連れてきて自分の家でよく飼ってあげていたエピソードがしんみりと語られたが故人の心優しさが私にはよく感じ取られた。私の菜園に行く途中に故人が丹誠込めて耕していた小さな畑があるが、ここ一年全くと言っていいほど世話がされていなく体調でも良くないのではと思った矢先の出来事であった。
豌豆の種を蒔く
 昨日、今日と穏やかな秋晴れが続いている。先日の雨量も相当なもので100ミリは降っているのではと思われる。ネギの畝が切れていたり南北の間にある通路には流失した土砂がかなり流れ込んでいた。そろそろ10月も残りわずかとなったが、例年この時期に空豆、グリーンピース、莢豌豆の種を蒔いている。作業を始めようとしたら上空で数羽のカラスがギャーギャー鳴いている。間違いなく豆を植えるところを見られている。グリーンピースを一列、スナップ豌豆、絹さや、莢豌豆(ビッグサイズ)を植え、短い列ではあったが空豆を5列植え付けた。もちろんこの後、畑中に散らばっていた不織布をかき集め全てをカバーした。先日タマネギを植えたばかりだったがもう少し空き地があったので150本追加して植えた。いつもの年のようにマルチは張らず露地に直接植えた。管理は楽なのだがどうも肥大気味で保存性が良くないように思ったからだ。小ぶりでもしっかりと実が引き締まったタマネギが今回の目標である。自分で種から育てているタマネギは定植するには少し小さめなのでもう少し待ってから植えることにしようと思う。こんなにたくさんのタマネギは食べきれないが、全てが育ち上がるわけでもないので保険と考えている。

2012年10月23日火曜日

中央構造線

 昨日のことであるがふと思い立って飯高町の方に出かけてみた。紅葉の季節には未だ早いが私のように海の近くで育った者に取っては四方山に囲まれたこの地の景観は堪らない。櫛田川に沿って国道160号線が走っているが、この道に沿って小さな集落が点在している。この川は中央構造線に沿って流れていて両岸では地層の走り方が全く異なっている。古い過去に大きな地核の変動があったことが伺い知れる。左右の地層には断層やズレが露出しておりそれが見て取れることも珍しいと言える。
 飯高町は古い友の在所でもある。今、友はこの町には住んでいないが若い頃何度か友の家を訪れ泊めてもらったことがある。酒を酌み交わしながら将来の夢を語り合ったりしたものだ。また、ギタークラブにいた頃はこの近くの学校を貸していただき一週間ほどの合宿をさせていただたこともあった。夏休みの子どもたちの登校日にギター演奏を披露してくれたら会場は無償で使って良いという学校のご厚意に二つ返事で甘えさせていただいた。学校から紹介していただいた近所の小母さん達に三度の食事やお風呂のお世話になり練習に励んだ。四十名を越える団体だったので食事の準備も大変だったと思うが、このような難題を快く引き受けていただけたものだと思う。この時の成果は定期演奏会に反映されバッハのマタイ受難曲第47曲等の公演に繋がっていった。あの時まるで親のように私たちのお世話をしてくださったこの地の方々の温かさは今でも忘れられない。

道の駅(飯高)
 帰路、道の駅に立ち寄りこの地の産品をかつての小母さん達に思いを馳せながら買い求めた。

畝を立てて

空豆と大根第二弾
 この前堆肥を入れ元肥を入れ軽く耕耘したタマネギ、空豆、実エンドウ、絹さやの畝を立てた。どうしても仕上げは鍬による手作業になってしまう。3時間程度の労働だったが腰がパンパンになり腕にもかなり応える。管理機の培土板でも出来るのだが仕上がりは手作業の方が綺麗にできる。早速であるが立てた畝に一列だけ空豆の種を蒔いてきた。お歯黒の部分を下にして一カ所に二粒(一粒は保険)30㎝間隔で浅めに埋め込んだ。はかない抵抗だが辺りを見回しカラスが見ていないことを確かめたが、奴らの目は人間の能力をはるかに超越している。私の目や耳で察知は出来ないが間違いなく見ていると思った方が良い。種を鎮圧した後、不織布でカバーしてきた。今年は種もかなり保管してあったが半分ほどは人様に差し上げた。我田引水になってしまうがこの菜園の土壌は空豆に適しているようで毎年大きな莢と実を付けてくれる。毎年楽しみに待っていてくれる人もいるので続けなければならない。店頭に並ぶこともあるがこの野菜、適期が短くすぐに姿を消してしまう。おまけに栽培している者としては信じられないほど値が高い。大粒の収穫直後の実を軽く塩茹でした熱々のものを頬張る醍醐味は菜園のオーナーの特権である。

2012年10月21日日曜日

台風後の菜園

 台風は上陸せず去っていったが風と雨は我が菜園にもそれなりの被害をもたらせていた。小屋の入り口は補修しなければならなかったし(2時間の仕事)雨も150~200㎜ほど降った。
 それはさておき、ここしばらく畑に行っていなかったのでいろんな作業が待っていた。先ずは不織布を掛けっぱなしにしていたほうれん草の不織布を取り払い除草をした。小松菜や葉ダイコンの時期をずらせて種蒔きをした第2段の不織布も撤去した。その後黒豆を収穫したあと本日の目的である空豆と実エンドウ、莢豌豆そしてタマネギの畝作りに取りかかった。空豆はこの春自家採取した種が沢山あるので少し多めに畝を作ることにした。タマネギは自分でも苗をそだててはいるが購入を予定している。このタマネギの苗はうっかりしていると店頭から一気に姿を消してしまうことがある。一昨年はなかなか手に入らなかった。作業内容だが夏の終わりに調達した牛糞堆肥を鋤き込み過燐酸石灰を投入した。牛糞を運ぶのが意外と骨が折れる。一輪車に山盛りにした堆肥を今日は20杯くらい元肥として投入した。山積みにし発酵熱で湯気が出ているものをスコップとフォークで積み込み畝に切った溝に投入していくのだが、背筋にかなり応える作業である。その作業の途中隣の畑の人がやってきて30分以上話し込んだ。畑と言っても全て茶園なのだが、この時期機械で剪定をしなければならない。機械で剪定をするのだが二人で重そうなエンジン付きの鋏を持って刈るのだが見ていても腰が痛くなりそうな代物だ。畑での雑談は日常的なもので昔からこのようにしていろいろと情報交換をしてきたように思う。イノシシの話、魚釣りの話、野菜を沢山作っている話、近況報告等々である。正確に言えばまだ畝は立てていないが一週間後には種蒔きができる。
 この作業の途中私にとっては深刻な問題が持ち上がった。不覚にも紫蘇の枯れた穂先で目を痛めてしまったのだ。帰宅してからも何か異物が入っているような痛みがあり、所用で車に乗ったが灯りがチカチカして不快感を感じた。どうも左目で見ると像がはっきりと見えず気になるので鏡で見てみたが目視では傷も見あたらない。眼科に行こうと思うがあいにく土日になるので診てもらえそうにもない。明日も具合が悪ければ月曜日に眼科を尋ねてみよう。

2012年10月19日金曜日

志摩の絶景

金剛証寺(青峯山)
 台風21号は陸に接近することはなかった。いろいろと対策は講じたが骨折り損になったようだが雨水は有り難かった。10月になってから蒔いた種や植え付けた苗が水不足で生育も滞っていた。本来なら今日は雨後の菜園の様子を見に行くのが本意であったが、畝が切れてしまうほどの降雨でもなかったし風もそれほど影響はなかったと考えたので買い物に行った。帰り道思い立って青峰山に登ってみた。夜TVで志摩半島を取材した路線バスの旅という放送があったが英虞湾や熊野灘も良いけれど的矢湾から伊勢湾にかけての絶景も捨てがたい。この山の頂上には金剛証寺がありこの地方の信仰を集めている。とりわけ志摩半島の漁船には必ずと言ってもいいほど青い小旗が飾られている。海の仕事に携わる人々は航海や漁業の安全を祈願し信仰も厚い。寺の由緒ある立派な伽藍も素晴らしいが山頂からの景色も秋の空気と相まって大パノラマを堪能できる。今日は松尾というところから入り磯部町へたどるルートをとった。寺にたどり着く手前から五ヶ所の方面まで走っている地層からはアンモナイトなどの化石が出土し、以前山奥に分け行ったこともあった。いろんな視点をもって山に入るのも面白い。
的矢湾、伊勢湾を望む

2012年10月17日水曜日

会場費を支払う

 今日は夕方から雨が降った。まとまった降雨はほぼ二週間ぶりではないだろうか。その間ほうれん草などの種蒔きや野菜苗の植え付けをしてきたので水槽の水も底が見えてきていた。
 外での活動は出来ないので阿児アリーナに出向き11月24日(土)に予定している第12回志摩ギターの会のコンサート会場の使用料を納め書類に必要事項を記入してきた。回を重ねるたびに認知度も高まり会釈をするやいなや係りの方も迅速に対応してくれた。3時間の借用料は¥2100である。通信費や会場使用料を差し引いたものが演奏者の交通費と消耗費(弦代)に充てているが、それだけで会計は火の車状態になってしまう。いつかはリューティストや高名な演奏家も招聘してみたいのだが、その時は何らかの形でカンパをお願いしなければならない。今後の願いでもあり夢でもある。
 時間があったので家に帰り先日入手したシューリヒトのアナログレコード(コンサートホール盤)のクリーニングと袋の入れ替えを行った。CD化されたものが手軽で便利だがこれらの手間暇のかかるアナログ音源には何となく愛着が湧く。

2012年10月14日日曜日

第12回コンサートの曲

 先日広垣氏からメールで第12回コンサートの曲目が送られてきた。
◆ギター独奏 ………………………… 広垣 進
▽6弦ギター  
セレナーデ(シューベルト)
ノクターン(ショパン~広垣進編)
リュート組曲第3番(バッハ) 
 ・プレリュード  ・アルマンド  ・クーラント ・サラバンド   ・ガボット    ・ジーグ
▽11弦ギター
シチリアーナ(作曲者不詳)
パイパー大尉のガリアルド(ダウランド)
アルメイン(ジョンソン) 
ルドビーコのハープを模したファンタジア(ムダラ)
牛を見張れによる変奏曲(ナルバエス)
◆ギター独奏 ………………………… 吉川伸幸 
コユンババ(ドメニコーニ)        
◆ギター二重奏 ………………………… 広垣 進 & 吉川伸幸

組曲「子どもの冒険」  (カバレフスキー~広垣進編)
・はじめてのエチュード  ・しずかな歌  ・ジャンプの名人
・かわりいハリネズミ   ・夕暮れの歌  ・なわとび  
・氷の上で   ・トランペットとたいこ  ・マーチ
・かわいいハープひき   ・陽気な歌   ・わがままな弟        
・子熊をからかう子ウサギ 
<鳩>による八つの変奏曲 (三宅榛名~広垣進編)

 これに加えDr.Imoto氏の演奏とトークがプラスされる。今回は所用のため小林氏の演奏は叶わなくなったが広垣氏が入手された11弦ギターの演奏も楽しみである。氏がこの楽器によりどのような境地を開拓されたのか興味深い。







もしも接近してきたら

暴風対策で寒冷紗を張る。
 志摩は昔から台風の通り道になっていて数々の大型台風に見舞われてきた。家屋の構造にしても先人の知恵が生かされていて瓦は漆喰で補強されていたり雨戸には閂(カンヌキ)が用意されている。また、ブロック塀や槇垣で強風から家屋を守っている。私も十数年前にやってきた台風では雨戸が内側にかなりしなったので通過するまで手で押さえたことがあった。今天気図を見てみると颱風1号が沖縄の南側に接近している。三重県にやってくるかどうかは不明であるが来週の後半にはもしかしたら近づいて来るかも知れない。この前の台風は志摩を直撃しブロッコリーやカリフラワーは根が半分ほど千切れるほどの被害をもたらした。そんな中寒冷紗で覆ってあった白菜は強風による被害は皆無であった。この経験を思い起こし今日はカリフラワーとブロッコリーに寒冷紗のカバーを施してきた。普通は防虫が主目的だが風の被害もかなり軽減するように思った。野菜の丈がかなり高くなっているので台風が去ったら撤去しなければならないのが苦になるしもしも逸れていったらくたびれ儲けになってしまうが、これも野菜作りだと納得するようにした。
 栗も拾い終え今日は黒豆を収穫した。私は枝豆として楽しんでいるが、この豆は粒も大きく味も噛みしめるとミルキーな滋味が魅力である。豆がこんなにも美味い物かと思う。地産地消の恵に深謝。

2012年10月11日木曜日

お通夜に行って来た

 今日は遠い親戚筋のお通夜に行って来た。この地では珍しい神式でのお見送りであった。お供えの不祝儀袋もいつでも取り出せるように引き出しにまとめてストックしてあるのだが神式のものは袋はあったが御玉串料と自分の名前を記したものは無かったので急いでパソコンで用意した。私の人生でもほんの数回の経験だったので会場でのマナーも再度確認した。遠い親戚になるのだが私の妹の嫁ぎ先のさらにその兄弟の奥様の関係と言うことなのでお通夜に出させていただき明日の葬儀は欠礼させていただくことにした。この奥様のご実家は以前食料品店を営んでいてこの町でも有名店だったがスーパーの出店で何年か前閉店したいきさつがある。閉店と言えば最近知り合いのストアもコンビニには勝ち目が無く先日店を閉じた。大型店やチェーン店の進出でこの町に古くからあった馴染みの店舗が沢山去っていった。大手の業者によって私の住んでいる小さな町の商圏も独占されていくようでは何か割り切れないものがある。商業地を集約化し大型化し薄利多売で攻勢をかけられるのだから零細な個人の商店は生き延びるのが難しい。
 以前「逢坂峠」(ほぼ今の伊勢道路)のことを記したブックレットを目に留めたことがあったが、古の頃には志摩の行商人がカツオをこの峠を越えて伊勢まで売りに行っていたそうだが、そのカツオの数はせいぜい10本以下だったとある。その儲けだけで生活がよく成り立っていったものだと驚くが昔はどの店も今と比較すると売り上げも微々たるものだったのではないかと思う。それでも暮らせていけたのだから余計に今の時代あくせく働かなければならないのかと考えてしまう。
 生活は確かに便利になって快適なのだが何をするにも全てお金がかかってしまう世の中になってしまった。この流れに逆らうのはなかなか難しいが何のために貴重な時間をお金のために浪費しているのだろうと自問してしまう。かつてリーマンショックが直撃した頃マネーゲームに対して「実」の無い物に対する批判が相次いだが、こんな時だからこそ自分の価値観を見失うことなく生きたいものだ。
 お通夜の道すがら私の町にも以前はこの通りのいたるところに小さいながらも対面販売のかけ声が聞こえる店があったことに思いを巡らせた。

 余談ながら、先日来腰痛に苦しんでいたが昨日菜園で苦になっていたナスの撤去や空豆・豌豆の畝の耕耘をしていたら痛みもかなり軽くなった。信じられないが事実である。
 余談その二になるが、久しぶりに小アジを買い込み今日は干物を作った。

2012年10月6日土曜日

リストを聴こうと思った。

 ドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」を視聴してから既に10年以上経つがフジ子・ヘミングの演奏を耳にしてからリストの音楽を聴いてみようと思い続けていた。私とリストの接点と言えば、未だ若い頃徹夜でリポートを書かねばならないことがあった。夜が明けた頃眠気と疲れのためボーッとしていた私に突然リストのカンパネラの演奏が爽やかに聞こえてきた。当時、リポートを書きながらFM放送を流しっぱなしにしていたわけだが孤独感を紛らわすために何でも良いから音が流れることに頼っていたのだと思う。あの時のカンパネラは今でも耳に焼き付いている。その後もリストを聴く機会はあったが、関心を持ち始めたのはフジ子・ヘミングのドキュメントを見てからであった。演奏家にも強い関心を持ったからだと思うが、彼女の語録に「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」「ぶっ壊れそうな鐘があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」そしてサンソン・フランソワが好きだという。フランソワは私も大好きである。
 で、最近リストの作品を網羅した30枚組のCDを廉価で入手し、時間のあるときに聴いている。時代的にどうしてもショパンと比較して聴いてしまうがどちらかというと自分の感性はショパンを求め続けてきた。詩情や美しさから見るとロマンチシズムに溢れたショパンに軍配をあげてしまうが壮大なスケール感のあるリストも捨てがたい。そもそも比較してしまうのが間違いだと思うが、若い頃受けた衝撃は忘れられないものである。

2012年10月5日金曜日

予定通りほうれん草種蒔き


イチゴの第2段
 予定通りほうれん草の種蒔きを済ませた。昨日用意した種は何と1デシリットルもあったので一列だけでは済まず、先日取り払ったゴーヤの跡にも蒔いた。それでもかなり密植状態になりそうだが適宜間引きをすることになる。  キュウリの跡も植え付け予定がないのでイチゴの苗を植えてみた。イチゴは既に別の箇所に定植してあるがちょっと欲を出してしまった。この場所は斜面になっているし中途半端な長さなので何を植えるのか迷っていた所だった。通路にも面しているので世話はよく目が行き届くと思う。春に赤い実をいっぱい付けてくれると良いのだが。

右側の葉ダイコンは虫たちのご馳走に
 昨日はニンジンやゴボウの除草を済ませたが今日は液肥とHB-101を散布してきた。効果の程は私にとっては未知の領域なのでつぶさに観察することにしよう。先月の半ばに葉物野菜の種を蒔きそろそろ間引き菜として漬け物にしたいのだが虫たちに食べられレース状態になっているものもある。特に葉ダイコンは美味しいと見え虫たちの格好のご馳走になっている。第2段も早い内に蒔いた方が良いかも知れない。

2012年10月4日木曜日

ほうれん草の準備

 台風の爪痕もやっと癒えたようだ。この台風からは突然襲来する強風対策として寒冷紗をトンネルのようにしてかけなければアブラナ科の秋・冬野菜は根っこから引きちぎられてしまうリスクがあることを学んだ。

種を水に浸す
 明日はかねてより準備していたほうれん草の圃場に種を蒔こうと思っている。昔はほうれん草を上手に栽培することさえ出来なかったが最近、何とか収穫するまでになった。乾燥した種を前もって水に浸しておくことは考えず自然の降雨に全てを託していたが発芽率を高めたり、発芽の時期を揃える為にはこれくらいの手間を省いてはいけないと思うようになってきた。
 身近な者から年間を通して一つか二つは好成績なものがあるというオピニオンをもらっているが、できれば全てが好結果でありたいと願うのは欲目だろうか。冬場の甘く、柔らかいほうれん草をイメージして明日は種を蒔きたい。

先輩に遭った

 買い物に行った店先で二年ぶりに先輩に遭った。卒業後それぞれの地に居を構え生活の場として暮らしているので日常的に遭うことはまず無いのだが、この先輩はたまたま志摩町に暮らしておられる。しばし近況等言葉を交わしたが学生の頃コンパで羽目を外した思いでは昨日のようによみがえってくる。上級生というものはやはりいくつになっても存在感があるものだ。
 今日は7月の出合いの前以来伸び放題になっていた菜園脇の草刈りをした。以前は刈りっぱなしにしていたのだが風や雨で道側に流れると美観を損なうのでサライで草の後始末をした。この作業だけ終えたら帰宅するつもりだったが散らばっていた支柱を寄せ集め束ねたり、昨日定植した野菜に水をかけたり、別の場所にも植えているネギの追肥と土寄せをしたり、ニンジン・ゴボウ・カブの除草や間引きをしたり・・・、一度菜園に足を入れると細々した雑務が絶えない。

2012年10月2日火曜日

苗を植え付けた


一畝に複数種の野菜
 家で育てていた野菜苗(最終)を植え付けてきた。白菜(第2段)青梗菜、春菊、菜花、わさび菜である。台風の禍で気になっていた馬鈴薯も追肥を施し土寄せをした。毎年一列単位で一種類の野菜を栽培してきたが作りすぎて食べきれないことがあるので、一畝に複数種植えることも選択肢にした。 苗の定植も済ませ再度野菜の生育状況を眺めていたら、昨日大丈夫だと思っていたカリフラワーやブロッコリーが根っこが半分ほど露出するほど強風の被害に遭っていた。放置すれば枯死してしまうのでマルチの中に腕をつっこみ一本一本土寄せと鎮圧を施した。まるで地面に這いつくばっているような姿勢で何とか終了したが、遠くから見て事の次第を判断するのではなく近くに寄って野菜達は観察しなければならないと思った。来年への課題だが秋作は強風対策(防虫も兼ね)として露地で栽培する場合は寒冷紗のトンネルを掛けなければならない。毎年毎年痛い目に遭ってスキルアップしているはずだがまだまだ勉強不足を感じる日々である。

2012年10月1日月曜日

台風は去りました。


潮風と強風で翻弄された
 昨日17時過ぎに志摩半島の上を台風は通過していった。目に入ったのか一時は無風状態になった。二百十日、二百二十日という言葉は最近耳にしなくなったが、海水温は高めなのでまだしばらく熱帯低気圧は発生するかも知れない。最近気象庁も想定の範囲外と言われるのを気にしてか最大風速もやや大袈裟に発表しているような気がする。警戒するに越したことはないが大型の台風の割には思っていたほど風も強くはなかった。作物によっては諦めかけていたものも何とか復活しそうである。ナスや黒豆は倒れかけていたが復元してきた。私の菜園で最も被害の大きかったのは栗かも知れない。実が茶色に熟していないものも強風で地面に落とされていた。放置すれば格好の虫たちのご馳走になってしまうので確保はしてきた。食べても多分甘みが無いかも知れない。馬鈴薯は先日、芽欠きをし土寄せをしたのだが風雨に翻弄されて可愛そうな状態だ。今日は出来なかったが追肥と土寄せを再度しなければならない。  
ここはレタスとほうれん草
 台風が去ったらと思っていたモロヘイア・オクラの跡に苦土石灰を散布し、耕耘してきた。ここはほうれん草やレタスを植え付ける予定だが、本来ならもう少し早めに播種しなければならないところだが他の葉物野菜の収穫時とずらして植えることにした。時期をずらすと言うことで大根も第2段を蒔いてきた。うまく育ってくれれば途切れなく露地野菜の少なくなる冬場に地産地消を楽しむことが出来る。