2012年1月19日木曜日

冬の畑

温暖な志摩ですが今日も畑の水槽には薄く氷が張っていた。白菜も外側の葉が黄色くなってきている。紐で縛ってあるので内部は保護されていて冬野菜としての糖度も増してきている。この前までは日々植物の息吹が感じ取れたが今は生命の音も静かに感じられる。



 そんな中、露地栽培のイチゴが赤く色づいていた。
 ビニルハウスでは年末からイチゴが実り、店頭に並んでいたが私は敢えて露地栽培にこだわってみた。それは赤いイチゴとお茶摘みの風景が脳裏に刷り込まれているからである。茶摘みと言えば四月下旬から五月にかけてこの地では行われるが、子どもの頃仕事を手伝いながら摘んだイチゴのことが忘れられないからである。
 何でも旬のものは栄養も食味も優れていると言われているが昨今はその自然の旬でさえ時期がずれてきているような気がしてならない。イチゴの旬はあくまでも五月だと思っている。クリスマスのケーキを飾っているイチゴは確かに赤く熟しているがそれほど甘いとは思えないのである。この頃スーパーで求めるものもそのまま口に放り込むよりもミルクをかけていただいた方がましだと思っている。
 さて、私の知っているイチゴは今のもののように名前もない品種であったが畑で完熟しているため砂糖もコンデンスミルクも不要であった。そのまま食べた方が遙かに美味しかったように記憶している。糖度だけではなく風味、香りもイチゴ本来のものであったような気がしている。そのような思いがあったので一畝栽培している。昨年の春に苗を求め、ランナーから次の苗を育て昨年の秋に定植したものである。その苗からまだまだ寒い真冬に写真のような実を付けてくれた。雑草対策でマルチ栽培をしているので地温が高かったのかも知れないが完熟してからいただくことにした。

 このごろ農作業をしていると時々道を通る人から声をかけられることがある。この地でもウォーキングを楽しむ人が増えてきている。健康意識が高まってきているのかお医者さんから勧められて歩いているのかそれはわからないが中高年の方が夫婦で歩いているシーンによく出合うのである。その方々も私の知っている地元の人ではなさそうである。リタイアされて自分たちの時間を楽しんでいるように見受けられた。挨拶を交わす人やわざわざ畑に立ち寄られ「自分たちも野菜を作っているのです。」と栽培の話をされて行かれる人もいる。私の畑の近くには民家も2軒あるが滅多に人通りもなく郵便配達のバイクや宅配便の車が通る程度なので、見ず知らずの方とは言え思わず話が弾んでしまうこともある。
 先日も「立派に作っておられますねえ。」と褒めていただいた。まあ人の畑を見てミソクソにけなす人はいないと思えばそれまでなのだが、褒めていただいて決して悪い気はしない。








2012年1月10日火曜日

木の剪定

今日は冬季としては穏やかな一日であった。畑の近所に不幸があったのでお悔やみに行き午後から木の剪定を行った。
 放置してあった柿の木を思い切って切りつめた。子どもの頃から生えてきたもの(恐らく実生苗)でなかなか実を付けなかったが数年前から実を付け始めてきた。かなりの大木になってしまっていて収穫もままならない状態であった。今回低く木を作り直すことにした。
 畑の北側にはかつて民家があり農地もあったのだが今では雑木林になってしまっている。木は少しでも隙間があると日の光を求め上空を覆い尽くすようになってくる。梅の木に被さっている枝をはらい、隣の畑の境に植えてある槇の木も短くした。この梅の木も母が植えたものであるが数年来手入れをしないでいる。梅干しや梅酒を一度漬け込むと私の場合数年は持つのでどうしても生産過剰になってきている。昨年漬け込んだ梅は大変好評だったので梅の木の周りの環境を整えることにした。
 野菜の自給自足には十分広さがあるので近年キウイ、プラム、枇杷、栗、桃、梨そして柑橘類を植えているが、気を付けていないとすぐに大木になってしまい手に負えなくなってしまう。それどころか肝心の畑に日陰を作ってしまいかねない。昨年沢山実を付けた柿と栗の木を思い切って強く剪定した。栗の木はもう少し切りつめたいところであるが、のこぎり一本で梯子をかけて挑みかけていたので今日はここまでにした。
 普段使わない筋肉を酷使したので明日が心配だ。

 私の畑の周囲にはかつて民家があったり丹誠込めて耕されていた畑があったが、世代が変わったため町に出ていったりして耕作が行われなくなっている。しばらくは荒れ地の状態だったが20年近くなると雑木林の森になってしまっている。イノシシの格好の住処になっていたり日光を遮ったりしてきている。肥沃で土質の良い畑なのに残念である。これらの雑木林が再び農地によみがえることは無いだろうと思う。

2012年1月9日月曜日

気のおけない仲間

昨日は恩師をお迎えして「あの当時の三期会」という懐かしい仲間の集いがあった。私も卒業以来恩師にはお会いしていなかったし、集まった仲間も卒業してから会っていなかった者もいた。県をまたいで遠くで仕事をしていることもあり何かの機会がなければ滅多に会うチャンスもなかった。今回は(Y君,S君そして一期下のFさん)のお世話で楽しい場を作っていただいた。
 私たちの期はそれぞれ10名前後のクラスだったので当時からお互いに何でも語り合い、下宿では何かと理由を付け酒盛りを楽しんだ。みんなお金もなく、いつもピーピーしていたが友に何かがあった場合は互いに強く支え合っていた。時は流れたが若かったあのころのエピソード(今では時効)の話に花が咲いた。
 昨年は「絆」という言葉が流行ったが、私たちもお互いを常に気にかけ合い続ける仲間だと感じている。多感な時代、互いの思いを素直にぶつけ合ったのは幸せなことであった。
 恩師と少し話をしたが、その中で「自分から求めて生きて行かねばなりません。」という言葉をいただいた。今日はこの言葉を深くかみしめることが出来た。師には卒論等はもとより私的にも大変ご心配をかけたし深くお世話になった。
 三時間という間はあっという間に過ぎ去ってしまった。Sはどうしても掛川市まで帰らねばならないし、HもKもFもJもKもそれぞれ帰ることになったが互いに名残が尽きず津の駅前の居酒屋でリミットまで酒を飲むことになった。私もここしばらく慎んできたが久しぶりに美味い酒に酔いしれた。
 次回は何があっても二年後に会おうと固く約束を交わし帰路についた。
 あのころの仲間一人一人が私にとってかけがえのない素敵な友であることは確かだが、人に会うことや繋がることの素晴らしさを全身で感じている。、今私はその余韻に浸っている。