2008年6月28日土曜日

Julian Bream

久しぶりにヤフオクでブリームのレコードを手に入れた。「リュートによるヨーロッパ宮廷音楽」というアルバム名である。ブリームはギタリストとしては私の最も好きな演奏家の一人である。最初に聴いたバッハのリュート組曲の印象はその後自分のギター音楽の好みの傾向を決定的にするものだった。若いギタリストたちの演奏は技術的にも私自身とても高く評価している。むしろギター音楽はこの方向に進まなければならないと思っている。
 ブリームの音楽はそれに比してやはり古めかしさを感じるのであるが、巨匠セゴヴィアのようなどう考えても納得のいかないような演奏ではない。右手のフォームだってどちらかというと両者とも現代の演奏家より親指を直角に構えたりしている。私も筋肉や筋の不自然さは感じつつもそのようなものだと思い真似をして弾いてきた。
 さて、ブリームのリュートのレコードは他にも所有しているがジャケットも綺麗だったので食指が伸びてしまった。リュートという楽器は形はマンドリンのようで(マンドーラに近い)ルネサンス、バロックの時代には隆盛を極めていた。音域はギターによく似ていて、ルネサンスリュートはギターの3弦をFシャープに調弦し3フレットにカボタストを付けるとそれなりにリュートの曲を弾くことが出来る。
 音色は繊細で独特の味わいがある。ただし、音量に乏しくバロックリュート以降は弦の数も増えてしまい、やがて音楽そのものが宮廷からコンサートホールに舞台を移すようになり、自然に沈滞していった。調弦も大変で、演奏家は一生のうち半分以上はチューニングに時間を割いていたとも伝えられている。
 当時の曲は今のように五線紙には書かれていず。タブラチュアに書かれていた。散逸してしまったものは圧倒的に多いと思うが、今でも古いヨーロッパの図書館に埋もれていたなどと言う話を聞くことがある。当時の演奏家は王宮に召し抱えられヴァイオリン奏者よりも遙かに高額な報酬を得ていたのだから、作られた曲数も相当なものだったと推測される。
 20世紀になり古楽が復興してからリュート音楽やチェンバロ、そして古楽器を使用したコンソートが復活してきた。リュート専門の演奏家もいるしブリームのようにギターとリュートの両刀遣いもいる。ブリームの演奏はいわゆる専門のリューティストのスタイルとは異なっているそうであるが私はすきである。確かにラゴスニック等の演奏とは異なっている。ギタリストはどうしても爪がありますからねえ。
 私が所属していた某クラブでも中川祥治さんというリューティストを招き、大学の大きな講義室でコンサートを企画したことがあった。当時中川さんはギターも演奏されていた。日本人にも世界的に高名なリューティストがいる。
 一人で静かに音楽を楽しみたいとき、リュートの音楽はお勧めである。
 リュート音楽については、いつか続きを書きます。

 明日、あさってはお天気が良くないようです。菜園の雑草が気になってしかたがない。金曜日は定刻に仕事を切り上げキュウリ、なす、ピーマン、三度豆を食べきれないくらい収穫してきた。その時、雑草の勢いを見てしまったのだ。雨ならしかたがないですね。それはそうと、原油の高騰が気になりますねえ。ガソリンの値上げを始め石油関連商品が軒並みアップしてきています。ところでこの国の生産物は農業・工業を問わず全て石油関連商品ですね。
 化成肥料や私が多用しているポリマルチなども大幅に値上がりしそうですね。明日、雨が激しかったら給油をしてから石油関連商品を買いだめしましょうか。

2008年6月20日金曜日

そろそろ黒豆を

 そろそろ隣町磯部の御田植え祭が近づいてきた。子どもの頃は2時間だけ学校があり後は放課となった。自分たちの町の祭りではないが学校も粋な配慮をしてくれたものだと思う。沿道の出店が何より楽しみであった。
 さて、この頃になると母親は黒豆の種を植えていた。私もそのことを思い出し近年は栽培している。この豆は正月料理ではよくお目にかかるが最近はココアに入っていたり納豆に入っていたりする。何でも体に良いそうである。
 私はこの豆はエダマメでいただくのが最高だと思っている。普通のエダマメ(大豆の未熟なもの)よりも実がはるかに大きいし味も濃厚である。自分の勝手な思いこみかも知れないがコクがある。エダマメは野菜を食べていると言う感覚だが、これは豆という穀物を食べている(野菜には違いがないのであるが・・・)という感覚なのだ。
 黒豆もエダマメとして食べられる期間は限られている。未熟では実に味が乗っていないし、かといって完熟になってしまうと豆そのものになってしまう。適度に熟したものは甘みが有るのである。
 
 週末、お天気は悪そうであるが、黒豆を植えに行こう!

2008年6月15日日曜日

キュウリが次々と

 土、日と菜園で汗を流した。今年は芋苗の発育が思わしくなくジャガイモの後に畝をたてても十分間に合うような状況だ。
 土壌を苦土石灰(石灰にマグネシウムが入っている)で中和しておいたし施肥も済んでいたのでサツマイモの畝を作った。小さな耕耘機で畝を立てるのだが最後はクワでならさないと見た目がよろしくない。黒いマルチをすっぽりとかけて完了。私が菜園に行けるのは土日か祝日に限られている。そのため畑仕事の半分は常に雑草との戦いなのである。文字で書くとこれだけのことなのだが、なかなかの重労働である。
 琵琶は最後の収穫はどうも鳥たちと分け合ってしまうことになってしまった。
 数年前に植えたプラムが少し赤く色づいてきた。これも鳥たちと分けることになるのだろうか。
 見上げるとキゥイの無駄な枝が随分伸びてきている。放置すれば養分が実(現在直径1.5㎝)に行き渡らない。これも剪定することにした。雑草は相変わらずのび放題である。一雨で急に伸びてしまいそのままにしておくと種をばらまくことになる。耕作していないところは草刈り機でかたづけることにした。

 本題のキュウリの収穫であるが、これもとる時期を逸すると瞬く間に1㎏くらいの大物になってしまう。何にでも食べ頃というものがあるようにと思うのだが、週末までとらずにいるのが現状である。さて、そのキュウリであるが緑がとても濃く、どちらかというと深緑色をしている。恐らくこの季節の強い紫外線から必死で身を守り続けたのであろう。豊富なポリフェノールが含まれていると信じながらいただいている。子供の頃、ぬか漬けにしたキュウリをおやつ代わりにガブッと丸かじりした思い出と香りが鼻からぬけていった。

 さてさて、このブログのことが私の隈友H.T氏のブログに紹介されていた。私も大人になってからずうっと彼のことを同級生では他の追随を許さないDoであると思っている。冗談はさておき、縁あって同じ町に住み続け何か企画するときはいつも助けてもらったりしてきた。持ちつ持たれつ・・・詳細を記すと「今だからこそ、笑えるね!」という話になってしまうので止めておきます。もちろん彼はいつも話題の中心人物ですがね。
 今回「志摩ギターを楽しむ会」の企画にあたっても彼には随分お世話になった。彼自身はカントリーミュージックをこよなく愛する人なのですが、クラシカルギターの演奏会にもおつき合いしてくれている。未だ白紙状態であるが11月末か12月に予定している定例の演奏会に向けて企画を立てるときはお世話になることであろう。

2008年6月11日水曜日

楽器の話

 今日は所用があって「志摩ギターを楽しむ会」のO氏の店に寄らせていただいた。用はすぐに足りたので世間話をしているうちに河野賢さんの楽器の話になった。生前の河野さんの楽器は実績もあり日本を代表する制作家であった。私の友人も何人かは河野の楽器を購入している。今は何かと材料が手に入りづらく制作家の苦労も察するものがある。さて、その楽器が売り出されていたと言うことであった。楽器は単なるブランドで選ぶわけにはいかない。ネックの状態やとりわけ表面版の状態など視認できるものはわかるのだが、バランスや音色、弾きやすさそして何よりも数年弾き込んでから結果が出るものだから難しい。
 私の先輩のI氏のブログに大学のクラブの後輩が量産品の方がいい音を出している・・・というくだりが書き込まれていたが、バンバン鳴るという視点で見ればそうなのかも知れない。
 楽器へのこだわりはなかなか語り尽くせるものではないが、その楽器のスペックに見合うだけの技量を持っているのかと尋ねられれば、俯いてしまう私である。
 自分も最初は名古屋の松岡の工房を訪ねて量産品を求めた。考えてみれば学生であった当時3ヶ月以上の生活費に相当する出費で思い切って買えたものだと今でも思っている。親には申し訳ないことをした。数年これを引き続けフレットもかなりすり減ってしまったが後輩がぜひ譲ってほしいと言うことで持っていた全ての楽譜と共に使ってもらうことになった。今でもネットなどで同じ楽器が出てくるとときめくことがある。
 その後ヤマハの量産品を長いこと使っていた。かなりの時間の経過はあったが少しゆとりが出てきた頃、今や日本を代表するギタリストの藤井敬吾氏のお世話で小森廣氏の楽器を手に入れることができた。冒頭の河野賢氏の高弟に当たる人である。北海道に住まれていて今年いっぱいで制作は終えられるそうである。
 私なりにかなり満足している楽器である。音にメリハリがあり決して華やかではないが、しまりのあるしっかりとした音を出してくれる。音色は録音したり大きめの会場で弾いたとき違いがわかるような気がする。弦は高音はプロアルテ、低音弦はオーガスティンの赤ラベルを張っている。残念なことにここ数年音を出してあげる機会が無く、ただ楽器の状態を維持している程度である。
 「志摩ギターを楽しむ会」で会員の方がこのギターを弾いて下さったらうれしい限りである。
 またいつか楽器については書いてみたい。

2008年6月5日木曜日

PA

 とある演奏のために急きょPAを用意しなければならなくなった。自分の範疇の演奏でマイクロフォンを使い音を増幅して出すことは今まで無かった。ミキサーがあると何とかなるのだが・・・いろいろ思案した結果やはりPCの力を借りることになった。コンデンサーマイクの拾った音を外付けのサウンドカードを介しオーディオアンプに入れそこからスピーカーに出力することにした。
 そもそも人から「スピーカーある?」と聞かれ、「あるよ!」って安く答えたのが失敗だった。確かにスピーカーは自作のものも複数持っていて保管場所にもこのごろ困っていたところであった。塩ビ管を使いタイムドメイン社もどきのものや、自分ではとても納得しているJSP方式のものである。パイプオルガンの音が出したくて試しに作ってみたところ30㎝ウーファーを備えたサンスイの3ウエイをはるかにしのぐと言っても過言ではない。(自画自賛?)ところがマイクロフォンもアンプも全て用意することになってしまったという次第である。
 試奏してみたが自分の六畳の洋間では納得できたが会場では多分調整がいるだろうと思う。専門家ではないのでこの辺りの調整は全く自信がない。実際の演奏者もかなり耳の肥えた人らしい。(汗)

2008年6月3日火曜日

琵琶の試食

 最近、町の人から琵琶をいただいた。初物である。ちょっと小振りで酸味も強く未だ甘いとは言えなかった。意を決して、日曜日に畑に出かけた。目的はジャガイモの収穫であった。土曜日まで雨に打たれたので水分を多量に含み、このままだと保存が危ぶまれると思いつつ来週の晴天も保証がないので入梅前に掘ることにした。
 芽欠きをさぼってしまったので例年のような大きなものはあまり期待していなかったがまずまずの出来であった。家では食べきれないので親戚にお裾分けとなる。
 作業も終わりに近づいた頃、琵琶のことを思い起こし少し収穫してみた。茂木琵琶という品種で彼岸の頃に袋をかけてあったものである。この効果は絶大で非常に綺麗な肌をし、なおかつ大振りなものが収穫できる。少し早かったが一部収穫することにした。
 程良い甘みとみずみずしさは菜園で熟し切った果実にしか味わえない美味しさである。優しく剥いてげると抵抗もなく丸い可食部が現れる。一口かじると果汁が堰を切ったようにほとばしる。至福のひとときである。「びわは明るい木の実だから・・・」という童謡を思い起こした。