2014年2月23日日曜日

野菜を送った

 N県に住んでいる妹に野菜の定期便を出した。秋にツクネ芋(山芋の一種)を送ったときその保存法について聞かれた。その時には早く全部食べてしまいなさい。食べたらまた送るからと言ったのだがそのままになっていた。
 芋類や生姜は小屋の地下に芋ぴつを設けそこに一括保存しているのだが、これがなかなかの優れもので性能が良い。地下ということで温度が一定であることや湿度がかなり高いこともあり保存性が良い。
妹たちが植えたキンカンの木
ツクネ芋、サツマイモ(安納芋)、画像にあるキンカン、頂き物の餅、志摩の海草などを宅配便に託した。

2014年2月22日土曜日

エンドウも元気

 今年はこの時期になってもヒヨドリの姿が見られない。去年は年末から飛来を始めて春キャベツの苗、レタス、エンドウと空豆以外は全て彼らの餌食になってしまった。

ヒヨドリ対策
彼らのアタックは無慈悲と言う言葉が当てはまるほど根っこの生え際ぎりぎりまで食べ尽くしてしまう。それでも昨年は食べ尽くされたエンドウの苗たちも逞しい生命力を発揮し何とか収穫できたが冬場の生育不良はその後の育ちに影響を及ぼした。防鳥対策と言っても長さ18㍍幅1.8㍍のネットを立てに張るだけなのだが、たったこれだけの投資でヒヨドリの食害からエンドウたちを守ることが出来る。いつでもおいでと待っていたのだが今年は全然やってこない。どうも4~5年のサイクルで個体数の増減があるように思う。確か10年ほど昔にも野菜畑が丸坊主にされた記憶がある。

2014年2月20日木曜日

菜園のブーム

 カリフラワーは日焼けや寒波対策として花蕾を葉っぱで保護している。白菜も同様にして周りから葉を寄せ集め紐でぐるっと巻いて冷たい風雨から本体を保護している。この野菜は純白に仕上げるのが以外と手間がかかる。味にはそれほど関係はないと思うのだが人様に差し上げる場合白く仕上げた方が喜ばれる。しかし、今年はヒヨドリ等の食害もなく殆ど手間もかけずに生育してきている。
 同じ仲間のブロッコリーは年末に頂点の花蕾は取り尽くし今は脇芽を収穫しているがカリフラワーは一雨ごとに一回りずつ大きくなってきている。しばらくはカリフラワーを飽食するまで食卓に並べ続けることになる。

菜園のブーム
さてこの野菜のことであるが、普段は葉っぱでぐるっとガードされているため菜園の中を歩いているだけではどれだけ大きくなってきているか見ることがない。その分括ってある紐を解き中の花蕾の大きく成長した様を目にし予想外の大きさに驚くことがある。芋類の収穫時に地下から出てくる芋の数量にワクワクすることがあるが、ある程度予想しているもののその生育ぶりには驚愕することがある。スーパーマーケットではキノコ類とモヤシ以外野菜を購入することは殆どないが最近の寒波と降雪で冬野菜は高騰しているようだ。買う必要がないことは有り難いが栽培に使った肥料を知っているので(農薬は使っていない)気持ちよく食べられる。何よりも収穫から一時間程度で食卓のお皿に盛られるのは嬉しい。甘くて風味も良くドレッシングなしでも野菜のうま味だけで食べられる。

2014年2月19日水曜日

収穫を急がねば

 冬野菜たちもそろそろ春の訪れを感じているのか花を付ける準備をしているようだ。先日チンゲンサイを収穫したがよくよく内部を観察してみると中央に小さな蕾をつけ始めていた。この時期の野菜は軟らかいうえに甘くなって食味は最高だ。
数日分の野菜
適当に種を蒔いて育てたものだがいつもこれくらいの野菜を収穫し持ち帰っている。半分は食べて残りはお裾分けに回しているが数日で使い切っている。先日は久しぶりの降雪に野菜たちは縮み上がっていたが雪に押しつぶされた葉もの野菜も復活してきた。気がかりはアブラナ科の野菜たちがそろそろ徒長し始めたのではないかと言うことだ。全て取り払い今度は春野菜の準備に取りかからねばならないがどのようにして食べきるか考えなければならない。

  
 昨日のことだが自治会の区長さんが切り餅を手みやげに来られた。どうも2014年度の評議員を引き受けて欲しいという趣旨であった。現任のN氏は会員のためにいろいろと尽力され日頃より個人的に感謝している。いつかは何らかの仕事もお引き受けしなければと思っていたし、どうせ受けるなら気持ちよく受けたいと思っていたので受けることにした。中身はボランティア活動的なものだがオファーがあるうちが花だ。人が減り若者も減りつつある地区だけにいろいろと気配りをして奉仕しなければならないが人口の減少と高齢化に伴い今まで機能していたものも簡略化されてきたり町機能の現状維持が困難に成りつつある昨今であるが問題の提起くらいは出来るかも知れない。今私の最大の関心事は里山の荒廃とそれが農業に及ぼす影響なのだ。里海のことを声高に叫んでいるが里山や耕地のことを真剣に考えなければ海の荒廃は避けることが出来ないのではないかと思う。
 私の場合はこのような大きな問題のことを言っているのではなく単に放棄された耕地や手入れされなくなった里山が害獣の住処になっていたり雑木が伸び放題になり耕作地に日陰を作っていると言った極めてミクロなことなのだ。
 それにしてもN氏から頂いた餅は美味い。今年もスーパーで切り餅を買ったが地産のものはレベルが違う。餅の味はかくあるべしと思った。地元の食材をもっと精力的に生産すれば本物を皆さんが楽しめるのにと思っている。美味しいものを食べようと思えばそれ相応の手間暇が必要なのだ。

2014年2月15日土曜日

20年ぶりの雪

 先週の寒波では西日本各地で雪が降ったがこの地では降らず残念な気持ちだけ残った。ところが昨日は予想に反し20年ぶりという降雪に見舞われた。雪国の人にとっては不謹慎きわまりない話なのだが私たちにとってはとても珍しく気持ちが高揚してくる。

辺り一面雪景色


家並みも真っ白
もちろん外に出て年甲斐もなくはしゃぎ回ってしまった。ただ不便なのは外出できなくなってしまったことだ。そろそろ買い換えなければと思っていた自動車のタイヤがツルツルで雪をグリップしてくれそうもない。前の家のお兄ちゃんは新車にもかかわらず坂道の途中で車が前に進まなくなってしまった。タイヤのスペックだけでなく私には雪道を走り抜ける技術がないのである。特に用事もないのでソチオリンピックを見ていた。それにしても銀世界というものは美しいものだ。
 今日、畑に来て驚いたのだが寒冷紗のトンネルが雪の重みでペシャンコになっていた。害虫や横風対策ばかり考えていたが雪も降ればかなりの重力が加わることがわかった。とはいえ来年も特に積雪の対策はしないだろうなあ。

2014年2月12日水曜日

旧い友人からの電話

 昨日の事であるが旧友のF君から電話をいただいた。大学卒業後大企業に就職され今ではエグゼクティブであるが近いうちに勇退し故郷に帰られるようだ。久しぶりに生の声を拝聴したものだから懐かしく互いの近況を語り合った。彼とはギター部で一緒になり音楽の趣味などを通じて親しくさせていただいた。家族を持ってからも志摩に遊びに来ていただいたこともあるし、私も彼の実家の方に何度かお世話になったことがあった。自分の愛犬にジョン(ギタリストのジョン・ウイリアムスから)という名前を付けていたほどのギターファンだった。
 一昨年のことであるが私のPCがクラッシュしてしまいデータが全て飛んでしまって彼のアドレスも消えてしまっていたがその間メールを頂いていたようだった。今日、彼から近況を綴ったメールを頂き先ほど返信させていただいた。来年になるかも知れないが彼と会えるのを楽しみにしたい。
 彼の声を聴いたためか昨日、今日とギターの音楽鑑賞でかなりの時間を楽しませてもらった。

梅の花が
立春寒波と強風の中、梅の花が咲き誇っている。毎年十数㎏の実を成らせていたが小屋の工事のため強い剪定を行ったがたくましく育っている。

2014年2月11日火曜日

風が強い

 寒い日が続いているが雪は降らず。しかし寒いので畑仕事は滅入ってしまう。特に済ませなければならない仕事もないのでソチオリンピックを見ながら家の中でゴロゴロしていたが年末からなかなか背中を押してくれるものがなかったのて゛放置してあったCDラックの制作をした。

CDラックを作った
DIYの腕も少しずつスキルアップしてきたように思うのだが板を切って組み立てただけ。自作は単に安いと言うだけではなくサイズの自由が可能なので空間の有効利用ができる。ノコギリとボンドとメジャーとインパクトドライバーだけで半日の作業で完成となった。木材を正確に切れば何とかなるものなのだが、この正確に切れるまでは今まで何度かつらい思いをしてきた。これで今まで一部積み上げてあったものも何とか収納することが出来て部屋も少しだけ片づいたような錯覚をしている。しかしこれ以上は部屋にラックを設置出来ないので残りは畑小屋に収納することにした。

2014年2月8日土曜日

雪を楽しみにしていたのに

 十年ぶりに大雪が降ると天気予報は言っていたが雨が降っているだけだ。流石に雪だるまを作ろうとは思わないが菜園一面が銀世界になるのもいいかな(?)と期待していたのだが地勢的な要因もありこの地では滅多に積雪は見ることが出来ない。
 さて、どうでも良いことなのだが過日伊勢にあるHCとスーパーを兼ねた大型店に行って来た。一カ所で全ての買い物が出来るのでこのような総合型の店舗は便利なものである。食品売り場では小屋に来るゲスト用に缶コーヒー等を買った。レジの店員さんの愛想は良かったが無理に(不自然?)口元を両側に上げ笑顔を演出していて恣意的なものを感じ真心は伝わってこなかった。でも無愛想であるよりも少しはましか(?)
 最悪だったのがHCの店員だった。私、毎度のごとくせっかちなので春に蒔く種を買い始めたのだ。

買った種
釣り銭を受け取ったのだが、この店員の渡し方が気に入らなかった。良くあることだしいちいち目くじらを立てるほどのことでもないがあたかも汚いものに触れるがごとく私の手に(接触しないように)渡してきたのだった。その仕草に強い不快感を持ったので当然「その渡し方は何だ!」と一言申し上げた。(よせば良いのにね)近くに上司と目される女性の店員がいたので少し話をさせていただいた。(これも止せばいいのにね。)しかし釣り銭は店のレジから出されるがお金の所有者はあくまでもお客さんである。人様の大事な金をぞんざいに扱って良いわけがない。
 私、これらの種だけで三千円ばかり買わせていただいている。しかも春蒔きの種は今後もっと追加する予定なのだ。HCで買うのは種だけではない。肥料や農具や資材もここで買う予定を立てていたが、この店員の対応で買わないことにした。私のような客でも一度の来店による客単価は軽く一万円を超えることがある。しかも年に複数回に及ぶ。
 私の町には何軒かのスーパーがあるが最近県外の資本が入ってきたので店舗間の競争は熾烈をきわめる。田舎町ながらイオンやマックスバリューなどの大手もある。流石に客に対する対応はマニュアル化されており洗練されているがそれだけのものである。ところが老舗の(地元資本)みせでは時にとても良い気分になることがある。人の気持ちは態度に現れるのでそれがよく伝わってくるのである。細かい仕草、アイコンタクト、言葉、表情などに顕著に見て取れる。小さな資本なので商品によっては競争力のないものもあるが店員さんの「ありがとうございました。」の一言でこの店はいつまでも存続していってほしいとおもうのである。
 この伊勢の大型店、心ない一人の店員のために少なくとも顧客をひとり失ったことは確かだ。
 農作業がこの時期あまりないのでどうでも良いことを書いてしまった。
 

2014年2月4日火曜日

恵方巻き

 世の中何かと流行がある。昨日は節分、節分と言えば豆まきが定番であったが最近はお店の商業ベースにすっかり乗せられてしまい海苔巻きを食べなければならないようになった。もちろん私にとってはどうでも良いことなのだが昨日も恵方巻きを食べることになった。食べ方にも流儀があり東北東の方角に向かい無言で巻きずしを一本丸ごと食べなければならないようだ。どのように食べようが余計なお世話だと思う。食べながら喋らないと言うのは当たり前のことである。今は外食でも口の中に一杯食べ物を頬張り喋りまくる人が見られる。当然のことであるがご飯粒が口から飛び出してしまうことがある。自分は良いかも知れないが周りの人にとっては気持ちのいいものではない。また丸かじりというのも野良に出た時の昼ご飯にキュウリの漬け物を丸かじりにするのは許容されると思うしシンプルながらなかなか美味いものだが料理というものは食文化の中で合理的な食べやすい大きさというものが自然と発達してきたはずだ。誰が食べても美味しくいただける大きさが見いだされそれ以外のものは行儀作法やマナー等私たちが作り上げてきた文化の中で淘汰されてきたのではと思う。

切って食べても良いじゃないか
私は口に運びやすいサイズに切って食べた。それはいいとして、この恵方巻きには穴子に卵、椎茸にキュウリ、干瓢といった具が巻かれているのだがもともと酢飯にはかなり多めの塩が入っている。にもかかわらずこれらの具材はとても濃く味が付けられている。決してまずいわけではないがお店の都合だろうか日持ちのするような味になっている。どれくらいかというとこの巻きずしでご飯が食べられるくらいなのである。

2014年2月1日土曜日

これでオモテナシ

 空豆の種を11月に蒔いたのだが昨年はかなりの量の豆を確保してあった。以外と需要があるので今年も沢山蒔いたがまだまだ大量に残っていた。いつもだとそのまま忘れられ廃棄処分になるのだが、かつて職場の女の子が祖母の手作りだと行って空豆の餡を使った饅頭を差し入れしてくれたことを思い出した。
 少しばかり手間暇がかかるのだが一晩水に放ち茹でて漉し餡を作った。砂糖と塩少々を加えそのまま保存袋に入れて冷凍してあった。丁度秋に収穫して正月料理のキントンにしようと畑でとれた栗の甘露煮も自作して瓶詰めにしてあったので両者を併せて和菓子を作ることにした。

和菓子を作った
材料は全て畑で採れたものだ。空豆は小豆とは違って独特の癖があるが私にはどちらかというとそれを風味と感じている。少しザラつきがあるがこれは栗と合わせて茶巾絞りにすることで違和感はない。むしろ相乗的に互いの良さを補い合っている。口溶けも良くお茶に良く合うと思う。栗も市販のものとは違い素材の風味や食感を味わう事が出来る。空豆は他にフレッシュなものを冷凍保存したものもあるが、これはスープにして食卓に出しているがこの時期にしては嬉しいものである。
 さて、今日はお客さんがやってくるので早速お茶菓子として供することにした。