2011年4月25日月曜日

友人の母

 先日私の小学校から高校まで一緒させていただいた友人のM君のお母さんに会いました。学校の帰りに彼の家に寄り毎日道草をしていたのですが、彼のお母さんが仕事から帰ってくるまで遊びほうけていました。時々、おやつのお裾分けにもちゃっかりありついていました。
 その後彼は仕事の関係で大阪に転居し、そこで家庭を持ち以来ずうっと志摩から離れてしまいました。彼のブログを読ませていただいていると、小学生の頃近くの小父さんに学校まで苦情をいただいたことや中学生の頃の体育祭のことが書かれていました。彼のブログには「たけのこ事件」と記されていましたが、自分の背丈を遙かに超えるタケノコを担いでいたのは紛れもなく彼で、私はただ側にいただけでした。固くて食べられそうもないものを夕飯に食べるんだと言っていました。運悪く竹林の持ち主と出会ってしまい我々はその場で大変説教されました。その時、その小父さんは担任の先生は誰だと聞いてきたので、私はためらいもなく○○先生ですと言ってしまったのです。まさか学校まで怒鳴り込んで来るなんて思いもしませんでした。
 先生の怒りもも今となってはよく分かるのですが、自分たちの名前は言わずに先生の名前だけを告げて帰ってきたから無理もないところですね。おかげで職員室では1時間以上立たされるし、作文は書かされるし一つのことで小父さんにも先生にも叱られてしまったのですから散々でした。大阪のM君は以来、「タケノコ事件」と言い続けています。
 で、私と言えば自分でタケノコを折った訳でもなくただ一緒にいたと言うだけで同罪になってしまいました。自分は別に悪いことをしたとは思っていなかったので最後まで無罪を主張したのですが、結果的に反省が足りないと言うことで先生には一番叱られたように思っています。
 毎年、この季節になるとタケノコを思い出します。この前、あの竹藪のタケノコをいただきました。毎年いただいているのです。

2011年4月18日月曜日

第9回コンサートのチラシ


 今日は日曜日、しかしそれなりに日中は忙しかった。

コンサートまでひと月を切った。この土日にチラシを作ることになっていたが自分で決めたリミットぎりぎりになってやっと完成した。

 夕飯を食べてから数時間はこの作業に費やしてしまう。封筒を買ってきて「志摩ギターを楽しむ会」の差出人を印刷する。宛先の印刷は差し込みで済ませるので早いが、住所録の更新やここ数回たよりのない方々をリストから削除する。70通ほど作るが来ていただけるのは約半数である。

 次はチラシの内容に取りかかる。今回はプログラムの詳細な記述は差し控えた。これでもシンプルに作ったつもりだがどうもすっきりしない。毎回このような反省をしているが、一向に改善はしていかない。100部ほど印刷したが、旧いプリンターでの試行は時間がかかった。

 広垣氏から依頼のあったコンサートのチラシを同封しセロハンテープで封をし明日投函することにした。何とか予定には間に合った。

 今回のコンサートでは、小林さんの「さくら幻想曲」が楽しみである。チラシにそのことについては触れておいた。広垣氏のソロについて、当日のプログラムにはヴァイスやバガニーニのことについて触れておかねばならない。

 吉川氏との二重奏で演奏される曲は私のお気に入りの一つである。10年ほど前、伊勢市の広垣氏の主宰する会でT女史と弾かせていただいたことがあった。私はおそらく原曲であろうと思われるレコードを持っていたが大きな傷を付けてしまった。気を取り直しグルミォー(vln)の演奏のCDを購入して楽しんでいる。ギターに編曲されたものは面白いが原曲の持っている楽器の緊張感は少しニュアンスが違うように思えてならない。Vlnでは表現できるが、同じ効果をギターには求めがたいものがあるように思う。

 お二人のDuoでVlnらしいニュアンスをどのように表現されるか楽しみである。

2011年4月13日水曜日

コンパネが姿を消している。

 ここひと月の間、雨が殆ど降っていない。この地でも田圃に水を入れ田植えの準備をしているのだが、いつも畑の前を通るとき声をかけてくださるD氏はタンクで水を運ばれていた。 私も夏野菜の植え付けに取りかかっているが、このままではせっかく植えた苗が活着しなくなってしまう。私も300㍑入るタンクを持っているが、これをワンボックスカーの荷台に入れている。そのままでは部分的に荷重がかかりすぎ車を壊しかねない。そこで重量を分散させるためにコンパネを細工し荷室に敷く作戦をとった。 いつものコメリへ買いに行ったのだが目的のコンパネは一枚も置かれていなかった。仕方ないので片面に塗装が施されているものを購入することになった。震災の影響はこの地にもいろんな形で及んでいる。今回の災害は三重の地からは遠く、今のところ放射能や放射性物質の影響はないが東北の農家の方々の怒りは自分のことのように思える。農家だけでなく漁業に携わる人々の怒りも私には痛いように伝わってくる。地震や津波は天災だから我慢しろと言われれば納得するが、農地や海を汚すことは許容できない。三重県では高度経済成長の最中、四日市喘息で大騒ぎした。それだけではない、我が国では有機水銀、農薬、鉱毒、環境ホルモン、二酸化炭素、、、と挙げればきりがないほど環境問題には取り組んできた。考えてみれば今、東電という私企業が起こしている環境破壊はそのレベルからしたら比較にならない。 私は志摩の地で野菜作りを楽しんでいる。今日もカボチャを定植したりナス、ピーマン、トマト、瓜、プリンスメロンを植えてきた。前もって、苦土石灰で土壌を中和し近くの牧場から分けていただいた牛糞を堆肥にして鋤き込み、畝を立て、保温のマルチを張り、水をかけてきた。これからも毎日収穫の日が来るまで見守っていく。このようなワクワクする楽しみは何と言っても温暖な気候に恵まれた志摩の地と親から譲られた思い入れのある農地と、何ら汚染の心配のない自然環境が私の楽しみの根底にある。 海水によって浸食された農地は塩害のため数年は耕作できなくなったであろう。半減期が30年もあるセシウム、ストロンチウム、プルトニウムに汚染された農地は耕作不可能と言っても良いかも知れない。テレビのインタビューに出てくる農家の方々が30年後にも今の年齢でいるわけがない。60代以上の方々が日本の農業を支えているわけだが、30年後には90歳を超えていることになる。 作物を丹誠込めて栽培することは農家の喜びである。生き甲斐でもある。環境に対する犯罪のみならず、多くの人々から奪い取ったものの重さを東電は考えて欲しい。 放射能漏れに右往左往しているだけで、ただそのことだけに終始していて良いはずがない。その地に生きる人々を起点としたコメントが非常に少ないのは許すことが出来ない。企業だけでなく政府のエネルギー政策も、安易な安全基準を設定した当事者も責任を取って欲しい。 農家の人や漁業に携わる人は農地や海を汚しても良いとは一言も言っていない。

2011年4月12日火曜日

トンボマグロ

 親戚からトンボマグロを頂いた。 10㎏を遙かにオーパーしていた。マグロとしては大きくはないが、一般の家庭で調理するにはなかなか のサイズである。普段使っている出刃包丁では刃が立たないので秘蔵の大きな出刃を用意した。これは母から譲り受けたもので流石に切れ味は鋭い。骨も難なく断ち切れた。 新鮮さは保障付きで、朝から熊野灘の黒潮を泳いでいたものである。この地ではケンケン釣りという漁法で一本ずつ釣り上げたものである。ケンケン釣りとは一種の擬似で志摩ではカツオやシイラも同じ方法で釣り上げる。私も以前何度か釣行させてもらったことがあるが、志摩半島が視界から見えなくなる黒潮の本流あたりまで出かけるものである。幸い船酔いはしない体質なので豪快な釣りを楽しんだ。 カツオはコリコリとしていて魚屋やスーパーで購入するものとは似て非なるものである。シイラは普通は生では食べないがこのようにして釣り上げたものは刺身が美味い。 このマグロは先ずは刺身で頂いた。まるまる一匹なので食べきれるものではない。翌日は「手こね寿司」にしたりお裾分けで差し上げたり、海の恵みを堪能させていただいた。