2014年12月27日土曜日

神社のボランティア

獅子舞の練習
自治会の用務で神社の焚き火の見守りに行って来た。12月1日から新年の獅子舞の練習が始まっている。温暖な土地柄と言っても夜間は結構冷えてくる。冷えた体を温めるには焚き火が一番である。私たち自治会からはその焚き火の番と後始末を任されている。神社総代をはじめ関係者と笛太鼓の奏者そして獅子頭の舞手の合計20人近くが毎晩集まってくる。舞やしきたりを伝えていく人も見たところかなり高齢になってきており保存会の皆さんの尽力がなければ伝承は途切れていってしまう。獅子舞はかなりの重労働になるのでもっぱら若い中学生を中心とした人選で行われている。この中学生達が将来地域に残って伝えていってくれると良いのだがどうも彼らの感覚はアルバイトという感じなのだ。恐らく近い将来この地から去っていくものだろうと思う。正月には厄歳の行事も神社で行われるが今年厄を受ける人の数は聞いたところ極めて少なくなってきているそうだ。この年代の人は百人を越えていたはずだがみんな何処へ行ったのだろうと思ってしまう。町の消滅が危惧されていると言うことがよくわかるような気がする。
それとは逆に年輩の笛や太鼓そして保存会の皆さんの熱気はひしひしと伝わってくる。みんな世間話も挟みながら舞手の技をサポートしつつ中学生に気を遣いながら褒めたりして励ましている。
 さてこのボランティアは暮れまでに二回ほど当番が回ってくる。ノルマは既に消化したが火の番という名目以上のことは皆さんやっていないようである。私なんぞは薪を運んだり結構お手伝いをしているつもりなのだが一緒に来た自治会の方はただ座りながら火を見ているだけのようだ。最後は水をかけて鎮火させてはいたが熱心な保存会の人を見ていると手を出さざるを得なくなってしまう。
 神社と言えば普段はあまり馴染みがなく小さい頃は母に手を引かれ獅子舞(私の町ではその楽曲の調子からチュラさんと言ってきた。)を見て振る舞われる餅を拾ったことくらいしか思い出がない。少なくとも八百よろずの神の信仰には私の場合繋がっていない。信仰の対象と言うよりも地域の伝統文化と言った方がしっくりくるようだ。不思議なもので小さいときに耳にした太鼓のリズムは耳の奥に深く刻まれている。ドンドコドコドンといった太鼓のリズムがややアチェルランド気味に奏されるのだが私の耳には心地よく鳴ってくれる。大晦日には注連縄や(注連縄はこの地では一年中飾ってある。)お札を焼きに来たり初詣に来たり、そのほか厄歳の行事・還暦の行事等たくさんあるのだが久しぶりに餅でも拾いに来ようかとは思う。

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