2012年7月7日土曜日

オーニングを付ける。

 全国的に荒れ模様で昨日から豪雨の被害が報道されている。この地ではそれほど雨は降らなかったが今日は朝から雷が鳴っていた。お天気の回復も早かったので一昨日購入したオーニングを付けた。早速近所の方からコメントも頂き、この地ではまだまだ住民が互いに感心を持ち続けているのだと思った。
 この節電グッズのことであるが、私個人としては今節電を国や電力会社から求められてもすんなりとは賛同出来ない。子どもの頃から石油は50年しか持たないと教えられてきたが、その50年という限界がずうっと続いてきている。そればかりではない石油の使用量が50年前の比ではないのだ。新たに埋蔵が確認されたものや新しいエネルギー資源を加えると危機感を煽るのは間違っているのではと思ってしまう。国やメジャーの虚言に騙されないぞと言う世論がもっと高まっても良いと思う。国のエネルギー政策や電力会社の独占企業としての傲慢さはもっと情報が公開されて国民の審判を仰ぐべきだと思っている。
 エネルギー政策だけではない、最近の国政の愚策、無策それと冨の配分の不公平について国民はなぜ怒らないのか不思議に思えて仕方がない。かつて間違いや矛盾はは多くあったと思うが世論や社会運動はもっと生き生きしていたように思う。まあ彼らが自らの主義主張に反し資本主義の枠組にすんなりと組み込まれてしまったからだろう。それを見て育った世代はそのことを批判するでもなく慣性で失速していく社会を受け入れてしまったのだろうと思う。拝金主義者を羨み格差の広がってしまった事を憂いてばかりいては何も活路は見いだせないが、今の社会(政治や経済もふくめ)を変革していこうとする世論が勢いづいても不思議ではないと思うのだが・・・。人が主役で活力ある国になって欲しいものである。
 さて私、節電という強要されたブームからオーニングを付けたのでもちろん無い。私は以前木造の家に住んでいたが夏になると縁側の障子を開放し昼間南から吹き込む海風を取り込み夕方には打ち水をしたりささやかではあるが自然の涼を楽しんでいたように思う。夜も網戸にし、風呂上がりやがて吹いてくる陸風を待って涼んでいたように思う。家を鉄骨造りに建て替えてからこのような風情も無くなってしまった。私の家は海抜25㍍ほどの所に立地しているため台風には万全の対応が要求されるため、古くからこの地方の自然に合った構造の木造建築は見送ることにした。引き替えに機密性の高い住宅となってしまい、冷暖房に電気エネルギーを使うようになってしまった。人間、自然からいろいろな恵を頂き、それと共に生きなければならないのだが、そうしていない自分に後ろめたさを感じないでもない。そのような思いからオーニングを付けてみた。

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