2012年7月2日月曜日

ボランティア?

先月草刈りをしたばかりだが雑草が茂ってきた。放置しておくと高さが腰くらいにもな

り後が大変である。画像の左奥は今や完全に雑木林になってしまっているが以前は立派な耕作地であった。左の画像はbefore右はafter。最初は茅などが生い茂りその後を追うように樫などの広葉樹の天下となってしまい、どうもこの森にはイノシシが定住していて奴らが踏み固めた獣道まで付いてしまった。見てくれも良くないし耕作が放棄され自然に帰ってしまった森は森として里山と人間の使うエリアはきちんと線引きしないと野生の動物が耕作地に頻繁に出没するようになる。ずうっとこの道の先に住まわれている方が時々下草刈りをしていたが、歳を召され草刈り機の重量も肩に重荷となってきたみたいだ。ここは市道だと思うが多分受益者で何とか処理しなければならないのではないだろうか。とはいうものの年一回の出会いでは森の勢いに負けてしまう。30分くらいの作業だが一気に刈り取った。
 この時ふと思ったのだが私のやったことはボランティアではないと感じた。この頃いろんなイベントや子どもたちの活動を見ていてもボランティアと名の付くものがやたらと目立つ。自己の利益を省みず社会のために奉仕するという理念は立派だ。それは十分わかるのだがボランティアという言葉自体私には西洋から入ってきた概念であるような気がする。中には自己満足であったり自己顕示であったり、無いとは思うが欺瞞的に映るものも・・・と思うがどうだろうか?私の住んでいる小さな町ではそのような見方は当てはまらないが、世の中にはボランティア精神の名をかたっているような素直に同調できないようなものもあるのではないだろうか。
 誰も気づかなくて良い、見られなくて良い、他者の評価は無用だ、そこに草が生い茂りそれを綺麗にしたいと思う自らがいただけだ。ふとこれは私の中ではボランティアではないと思った。





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