タイトルからするとご飯に醤油をぶっかけた食べ物に見えるが、実は鵜方の町に古くから伝わる料理なのだ。平たく言えば混ぜご飯に近いものだと言える。私も子どもの頃祖母に食べさせてもらったことがある。作り方は白米と具材を別々に炊く。出汁や酒を効かせたご飯が炊きあがったらそこに分量の生醤油をかける。この工程が他の混ぜご飯と大きく違うところだと思う。具材は今日の場合鶏肉、ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、竹輪、あげ、椎茸が醤油、味醂、出汁で甘辛く加減してある。調味し炊きあがった具材を醤油で味付けした熱々の釜のご飯の上に乗せしばらく蒸らせばできあがりである。仕上げにネギを刻んで供する。具材は季節によって旬のものがアレンジされるが、私は炊き込みご飯よりもソウルフードの「しょい飯」の方が好きである。漢字で書けば醤油なのだがいつしか訛って「しょうゆ」→「しょい」となったものだと思う。
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「しょいめし」を作った |
かつてこの辺は海のものには恵まれていたが動物性の肉は日常の食卓にはなかなか上らなかった。調味料の醤油だって量り売りで買っていた。肉と言えばどこの家でも飼っていた鶏を盆正や祝い事のある特別な日に絞めて食べていたらしい。私の家も鶏を10羽ほど飼い卵を産ませていたが、自分の家で育てた家畜はどうしても喉を通らなかった。祖父はそのあたりは当然のことのように受け止めていた。当時鶏卵を目的としたレグホン系の鶏のほかにプリモスやコーチンそしてシャモ等の鶏がいたことを覚えている。家の鶏は口にしなかったが祖父の家の鶏は時々食べさせてもらった。今、市販されているブロイラーとは違い味が濃く鶏の風味も格段に良いものだった。似て非なるものとはこのことだと思う。自分でも鶏を飼ってみたいとは思うし、解体の方法も見よう見まねで覚えているが、餌を与えペットのように感情が移入されてしまうと食べられないのではないかと思う。結論は保留である。
具材のに使う野菜は自給しているがネギは冷蔵庫に入っていなかったので菜園まで採りに行った。馳走という言葉が当てはまる今日の行動であった。このソウルフードは昔の郷土の人々にとっては晴れの日の食事でご馳走であったことは想像に難くない。この町の郷土食は「しょい飯」の他にいくつか思い当たるが、中には食材の確保が大変なものもある。思い立ったときには、まさに馳走しなければならなくなりそうだ。
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