2012年11月30日金曜日

今日の作業

 菜園では気温の低下に伴いまだまだ健気に実を成らせ続けていたピーマンとシシトウを全て撤去した。夏野菜だという思いが強いため最近では収穫も殆どせずにいたので赤く熟している実が多くあった。一本の苗でどれだけ実を収穫したか数え切れない。
 アスパラガスもそろそろ地上部を刈り取らねばと思っていたので撤去したが雑草がかなりはびこっていた。
粘り気があり美味い「つくね芋」
 今日の最大のおお仕事はつくね芋堀だ。伊勢芋は葉が早く色づいたがこちらは生命力が旺盛でまだまだ青々しているが芋は成熟しているので半分ほど掘ることにした。ツルが海苔網にしっかりと絡みついているのでこれを刈り取るのが大変だ。鎌を砥ぎ根元を切り離し絡みついたツルをなるべく網に残らないように取り外した。除草の手間を省くため黒マルチを貼ってあるがこれも取りはずしスコップで傷付けないように慎重に掘り続けた。乱暴に掘るとこの芋は柔らかいので途中でポキッと折れてしまう。コンテナに二杯掘ったのでこの作業は終えることにした。イノシシたちは涎を流していたと思うが、なんとか食べられずに収穫まで漕ぎ着けた。
 もうひとつ、生姜の最終の収穫だ。これはそれほど難しくはないが来年の種生姜も兼ねて収穫した。「金時」と「おたふく」の二種類で早速持ち帰り発泡スチロールの箱に保存した。ほうれん草、キャベツ、青梗菜、ネギ、ミツバ、大根、ルッコラを採り作業は終わった。
 新鮮な野菜をと思いお隣にお裾分けしたら丸々と太ったマサバとアオリイカをいただいてしまった。いただきすぎなので、また野菜を持っていった。(笑!)

2012年11月26日月曜日

先ずはクリーニング

 広垣氏から依頼のあったレコードのCD化の準備をしているが、昨日はオーディオ用のブランクCDとブラケースを購入した。レコードは2枚組のものもあるのでケースもそれに合わせたものも入手した。未だ視聴はしていないが古いものなのでチリ音やスクラッチノイズが予想される。後者はレーザーで読みとるプレーヤーを使用しない限り無理だが埃などが原因の雑音は丁寧に洗浄することでかなり克服できる。いつもの作戦(バランスウォッシャー&ビスコ)で20数枚のレコードのクリーニングに取りかかることにした。CD化した後のレコードはもう不要だと言うことなので有り難く拝受させていただくことにした。今日の作業はここまでだが、広垣氏の言っていたようにJ.Breamのレコードには直筆のサインが入っていた。これはマニアにとってはまさに「お宝」である。さらにこれらの中にはダンスリールネサンスの「絆」というアルバムが含まれていた。日本を代表する古楽器のコンソートであるが恐らくCDで入手するのは不可能だと思っている。

クリーニングの準備完了

 私、友人・知人宅を訪れたとき書斎の書架を拝見することがあるが、その蔵書を見せていただいただけでその人のことが良くわかるような気がする。ディスクコレクションも然りで所有者の趣味の良さを垣間見ることが出来る。

 このレコードの所有者はルネサンス・バロック・古典から現代曲に至るまでありとあらゆるジャンルの曲をレパートリーとしているが、彼の好みの一端を見せていただいたような気がした。一枚のレコードの値段は2000円前後であったと思うが一月の収入に占める割合は今のCDの比ではない。かなり高価なものだったと思う。私も学生の頃からどうしても欲しいものは家庭教師などのバイトをして手に入れていたが大事に扱い何度も何度も針を落として聴いていた。LPレコード全盛の時代、それにしても当時、指をくわえて我慢していたものが何と多くあったことだろうか。


2012年11月25日日曜日

ヤーコン茶

 玄米と少しばかりの野菜を食べていれば良いのだが飽食の限りを尽くしたため血糖値が上がってしまい糖尿病一歩手前・・・。私のことではないが周りにそのような人が増えた。まだまだ現役で働けるのにお医者さんから勧められたのだろうか散歩をしている人が目に付く。昔はこのような贅沢な時間を過ごしている人はあまり見かけなかったように思う。
半ば雑草化したヤーコン
 糖尿のことをいろいろ調べていると「ヤーコン茶」に効果があるとか無いとか記されていた。そう言えば菜園の片隅にヤーコンが植えてあったことを思い出した。芋は梨のような味がしてサラダやダイエットに良いと言うことで何年か前に植えたのだが、あまり積極的に食べようとは思わなかったのでそのまま放置してあった。この植物、なかなか生命力が旺盛で菜園では半ば雑草化していた。お茶はこのヤーコンの葉を刻んで乾燥させるだけで良いようなので、人様のお役に立てばと思い採集してきた。どのようなお茶になるのか見当が付かないが今、洗って刻み終えたところである。
 

第12回コンサート無事終了

 少し寒さを感じる一日であったが第12回志摩ギターの会のコンサートは無事に終了した。前回所用で参加できなかった方や新規の方を含めると十余人の会員が新たに入っていただけた。トータルで32名の会員で本年度は活動出来たことになる。
第12回コンサート
 コンサートは吉川さん、広垣さんそしてDr.井本さんの3名の演奏で盛会だった。今回は紅一点の小林さんが所用で演奏が叶わなかったが、吉川さんは特殊な調弦のため2台のギターを持参してくれた。練習の積み重ねによる確かな弾弦は粒の揃った佳演だった。広垣さんのリュート組曲第3番(J.S.Bach)も参加者の耳を釘付けにした。私の主観であるが、後半のサラバンド、カポット、ジーグは手慣れた演奏と言うこともあるかも知れないが音楽がよく流れていたように思った。休憩を挟み今度は11弦ギターに持ち替えリュートやビウエラのために書かれたバロック・ルネサンス時代の曲を披露されたがJ.ダウランドの曲をもっと聴かせていただけたらと思った。Dr.井本さんは患者さんをかかえつつ今回も何とか演奏時間を確保してくださり津市から駆けつけてくれた。今回も6弦、11弦の二刀流で十八番を披露してくれたが、指の不調をものともせず巧みな話術を交え会場を湧かせてくれた。相変わらずの甘い井本サウンドは健在だった。
 今回は谷川原氏の働きかけでこの会に注目してくださっている2名の方にお会いできたことも有り難かった。本会のHPをアレンジしてくださっているMさんとブログを読ませていただいているもう一人のMさんに来ていただけたのは何よりだった。また、お菓子や新鮮なミカンを差し入れてくださったYさんTさんには心より感謝!(ペコリ)いつも会員の数について心配してくださっているN氏、鳥羽市から毎回来て下さっているもう一人のN氏、ポスターの貼付についてご支援いただいたもう一人のY氏、いつも受付の係りを快く引き受けて下さっているRちゃん・・・。多くの情熱を持った方々にこの会が支えられている有り難さを実感しました。(深謝!)

2012年11月23日金曜日

プログラム作成

 前日の準備と言うことでプログラムを作り終えた。A4の用紙を二つ折りにして見開き表裏4ページのものだが、プログラムと曲目の解説そしてウンチクをしたため自宅のプリンターで印刷した。読んでいただける会員の方も見えるのでいろいろと下調べをして書き上げた。体裁にもっと工夫があると良いのだが毎回殺風景なレイアウトは成長の見込めない私の美観によるもの・・・お許しを請う。
手製のプログラム
 プロ作成中にDrからメールが入り、開けてみると「吐血の患者2名をかかえていますので、急変した場合は行けません。」とのことであった。人の命を預かっているのだから私も十分に承知している。ちなみに持ってきてくれる曲は1)愛のロマンス(スペイン民謡)、11弦ギター2)アルハンブラの想い出(タレガ)、6弦ギター3)さくら変奏曲(日本古謡)、6弦ギター である。毎回これに加え漫談のようなお話しが聞けるが楽しみにしている会員も少なくない。


2012年11月22日木曜日

広垣氏所蔵のレコード

 80年代にCDが登場したかと思ったらあっという間にレコードが駆逐されてしまった。ヤフオクなどでは流通しているがアナログレコードが聴ける環境を保持している家庭は少ないと思う。プレーヤーの劣化や消耗品である針の入手が困難になりつつある。ギターの会のメインゲストである広垣氏のマガジンhttp://www.amigo.ne.jp/~hiro7167/cn_iseにアナログレコードをCDに焼いて欲しいという呼びかけがあった。約20枚程度のLPのデジタル化の作業になるがいつもお世話にもなっているので早速OKの電話を入れた。CDのコピーはPCの中であっという間に終わってしまうがレコードの場合PCに取り込むのは全ての演奏時間の間、聴くことになる。何倍速という時間の短縮はできない。氏のコレクションを聴かせていただくと思えば楽しみもあるので快諾を申し出た。
 良い演奏でもなかなかCDでは手に入らないものや、そもそもCD化されていないものもある。貴重な音源が再生されないまま眠ってしまうのは残念なことであるし、買いたいものを我慢してお小遣いを貯めやっと購入したレコードには思い入れも強いのではないかと思う。
 明後日のコンサート会場に持ってきてもらうように連絡したが、PCに取り込むだけでも20時間はかかるし音源のクリーニングや諸々の作業を含めるとその倍の時間は覚悟しなければならないが年末を目途に少しずつ取りかかることにする。

2012年11月21日水曜日

野菜は作品?


柔らかく瑞々しい

 今日はキャベツ、ホウレン草、山芋、大根、白菜、ユズ、生姜、カブを収穫した。ここまでの道程は山あり他にありの連続(少し大袈裟)であったが成就感という喜びが作物にプラスαで付いてくる。キャベツは7月下旬に種をポットに蒔き家の軒下で育ててきた。高温時の中、徒長したり消滅してしまったりで脱落していったものもあったが、何とか育った苗を9月に定植した。定植後も台風や害虫と戦い残暑が去って涼しくなってから結球し瞬く間にキャベツらしくなってきた。先週あたりからぼちぼち予定していた大きさに届き始め今までに10個ほど収穫した。
味が濃くビタミンが多そう!!
 ホウレン草は小松菜やしろ菜、たい菜などのアブラナ科の野菜よりも栽培が難しい。土壌のpH調整や発芽率を高めるための処置等手間がかかる。例によって種を蒔きすぎたので間引きが大変だった。一雨ごとに劇的に大きくなりやっと収穫できるサイズにまで育った。濃い緑の葉が食欲をそそる。
 店で買えばキャベツにしろホウレン草にしろこの時期それほど値のはるものではないが、手間暇かけて育て上げた野菜達は産物と言うよりは作品に近いものがある。イメージどおり作品が出来上がったときの満足感は何ものにも代え難いものがある。

2012年11月20日火曜日

しょい(醤油)めし

 タイトルからするとご飯に醤油をぶっかけた食べ物に見えるが、実は鵜方の町に古くから伝わる料理なのだ。平たく言えば混ぜご飯に近いものだと言える。私も子どもの頃祖母に食べさせてもらったことがある。作り方は白米と具材を別々に炊く。出汁や酒を効かせたご飯が炊きあがったらそこに分量の生醤油をかける。この工程が他の混ぜご飯と大きく違うところだと思う。具材は今日の場合鶏肉、ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、竹輪、あげ、椎茸が醤油、味醂、出汁で甘辛く加減してある。調味し炊きあがった具材を醤油で味付けした熱々の釜のご飯の上に乗せしばらく蒸らせばできあがりである。仕上げにネギを刻んで供する。具材は季節によって旬のものがアレンジされるが、私は炊き込みご飯よりもソウルフードの「しょい飯」の方が好きである。漢字で書けば醤油なのだがいつしか訛って「しょうゆ」→「しょい」となったものだと思う。
「しょいめし」を作った
 かつてこの辺は海のものには恵まれていたが動物性の肉は日常の食卓にはなかなか上らなかった。調味料の醤油だって量り売りで買っていた。肉と言えばどこの家でも飼っていた鶏を盆正や祝い事のある特別な日に絞めて食べていたらしい。私の家も鶏を10羽ほど飼い卵を産ませていたが、自分の家で育てた家畜はどうしても喉を通らなかった。祖父はそのあたりは当然のことのように受け止めていた。当時鶏卵を目的としたレグホン系の鶏のほかにプリモスやコーチンそしてシャモ等の鶏がいたことを覚えている。家の鶏は口にしなかったが祖父の家の鶏は時々食べさせてもらった。今、市販されているブロイラーとは違い味が濃く鶏の風味も格段に良いものだった。似て非なるものとはこのことだと思う。自分でも鶏を飼ってみたいとは思うし、解体の方法も見よう見まねで覚えているが、餌を与えペットのように感情が移入されてしまうと食べられないのではないかと思う。結論は保留である。
 具材のに使う野菜は自給しているがネギは冷蔵庫に入っていなかったので菜園まで採りに行った。馳走という言葉が当てはまる今日の行動であった。このソウルフードは昔の郷土の人々にとっては晴れの日の食事でご馳走であったことは想像に難くない。この町の郷土食は「しょい飯」の他にいくつか思い当たるが、中には食材の確保が大変なものもある。思い立ったときには、まさに馳走しなければならなくなりそうだ。

2012年11月19日月曜日

ふと思い立って

列車は変わった
 私がクラシックギターを始めたのは大学のクラブが最初だった。4月に入部してカルカッシの教則本を購入し名古屋の楽器製作所まで先輩に連れられて楽器を買いに行った。マンツーマンで上級生が手を取り足を取り指導してくれたわけだが、最初はなかなかスムーズに指も運べず夏休みまではイ長調の部分まで及第点を取るのがやっとであった。最初の難関が夏合宿であった。ゼミの関係で一日遅れで合流したのだがその合宿地が暑さを避けるため信州の飯田市付近の山中の村であった。かなり昔のことであったのでどこに宿泊したかは忘れてしまったが、とにかく一週間というものは全く自由行動が無しで朝から夜まで食事の時間を除きギターを引き続けた。遅れての合流であったが名古屋まで出て豊橋から飯田線に乗り換え各駅停車で飯田の方へ向かったのを覚えている。たまたま私の指導に当たってくださった先輩が新城市の出身ということで沿線の景色を目に焼き付けながらの行程であったが、信州とは言え期待していたほど涼しくはなかった。おまけに毎日の食事が野菜中心の質素なもので食べ盛りの若者にとっては動物性のタンパク質に植え続けた一週間であった。帰路途中のラーメン家で口にしたチャーシューが唯一の肉だった。


景観は殆ど変わらず
 その後いろいろといきさつがありクラシックギターだけを演奏するクラブの方に移籍していったが、お世話になった先輩の郷里である新城を眺めながら飯田線の旅をしたいと思い続けていた。思い立って紅葉の飯田線の旅に出かけてきた。列車や駅舎は当時のものとは違い綺麗になっていたが沿線の景観は当時のままであった。むしろ林業の衰退や過疎化のため住む人のいなくなった民家が散見された。新緑の頃もう一度訪れたいものだ。

2012年11月17日土曜日

イノシシとその餌

 獣害にはいつも冷や冷やさせられてしまう。甘藷は全て掘ってしまったが、まだまだ畑にはイノシシの好物の山芋や里芋が殆ど掘らずに残っている。一度侵入されると一晩で全てが食べ尽くされてしまう。先日も胸騒ぎがして電気柵のバッテリーを点検に言ったら放電してしまっていた。急遽充電済みのものと交換して事なきを得た。余談になるが甘藷を掘っていたら冬眠中のシマヘビも一緒に掘り起こしてしまった。画像はないが一㍍を越えるサイズのものであったが、この寒さの中体の動きは緩慢であった。このシマヘビは菜園のどこかに住み着いているもののような気がする。突然出てくると驚くが野ネズミなどを補食してくれているのではないかと思っている。害獣と言えば隣町の磯部には猿も出没しているようだ。これも出没するようになったら、いよいよ菜園ネットの3D化を考えなくてはならない。

ここまで掘り尽くすか!!
 さて、イノシシのことだが電気柵と防獣ネットの外側では夜な夜な土を掘り返し、土中のミミズ(多分)を食べている。それはいいのだが土手を崩してしまうので地形が変わってしまう。この時期、彼らの餌は動物性のものを好むのだろうか?志摩の雑木林の中には自然薯が沢山食べ頃になっている。畑の道を挟んだ西側にも自然薯の蔓が雑木に絡まり葉が黄色く色づいている。人が掘り出すには時間と労力が大変なので目の前にあっても掘ろうとは思わないが、見るからに美味そうな芋が地下に埋まっているように見える。イノシシたちも畑の作物を狙わずに天然の山芋を食べてくれると良いのだが。
この蔓の下には天然の山芋があるのだが

もっと近寄って

 先日日頃「志摩ギターの会」の運営に格別のご賛同ご支援を頂いている級友のT氏を尋ねた。氏とはかつて阿児を中心に活動していた映画の自主上映会でご一緒していただいた仲間でもある。時々氏のコレクションから私のハードディスクに名画の数々をDLしていただいている。この日も出来上がったから取りに来るようにと言う連絡を頂いた。
 24日(土)に近づいてくるギターのコンサートの話をする中で野菜作りの話題が持ち上がった。市内で循環型の野菜作りをされている方のブログを紹介してもらったりしているうちに私のブログに載っている野菜達をもっとクローズアップしてはどうかという提案も頂いた。
豌豆の幼苗
 今日は荒天でとてもじゃないがフィールドへは出られないので昨日の作業の一つ、豌豆の蔓を絡ませるネット張りとようやく育ち始めた苗の様子を張ってみた。豌豆は私の場合、青のりの古くなった網を使い回ししている。絡みつくまでが一苦労でようやく網の目に丈が達した頃冬場の北西風に翻弄されてしまうが今年は誘引の方法を考えてみたい。

2012年11月16日金曜日

ブルーベリーの手入れ

ここだけ酸性土壌
 今年の夏、ブルーベリーの栽培講習会に参加したが畑に植えてあるブルーベリーの木には成果が反映されてこなかった。畑は概ね酸性に傾く傾向があるのでそれほど深く考えずに苦土石灰を入れたり有機石灰(蠣殻の粉末)を投入しpHの調整をしてきた。あまりにも適当だったので酸度計も昨年購入している。また石灰分の投入による土壌の硬さを調整する意味でも有機堆肥(主に牛糞)を大量に鋤き込んできた。残念ながらブルーベリーの栽培にはこの方法は適していない。先月ホームセンターで酸度無調整のピートモスを購入し準備をしてきたが他の作業があり延び延びになっていた。せっかく酸度を調整しても近くの土と混ざってしまっては困るので部分的に隔離することにした。畔シートで囲いそこにピートモスを投入するという単純なことなのだがツルハシを取り出し土木工事を行った。未だ肥料分を投入していないので牛糞を頃合いを見て寒肥を兼ねて施したい。
 pHについては化学の時間以来(かなり昔)のご対面だがこの数値が対数であることまでは普段なかなか意識してこなかった。例えばpHの値の差が2ということは実際には100倍の違いがあるわけだからいかに植物たちは多様な環境に順応して生きていることがわかった。菜園で正確なpHを計測しながら野菜を作り続けることは計測環境が整っていても実際問題として不可能に近い。やはり適当に例外を除き弱アルカリで栽培し続けることにする。

2012年11月15日木曜日

ユズが色づく

 数年来ユズがコンスタントに実を生らせている。畑の半日陰で条件のあまり良くない所に植えてあるのだが、雑木林が今ほど背丈が伸びていなかった頃、母と植えたものだ。まさかここまで雑木が勢力をもたげるとはその頃思いもしなかった。今年も自分では使い切れないほど実を付けているが私は青いユズを香味に使うのが好きで熟したものは漬け物に和えたり椀の吸い口に使ったりしているが大半は湯船に浮かばせてしまっている。何個も食べるものではないが畑の隅に一本の木があるだけで初夏から冬場にかけて香りを楽しむことが出来る。「桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大バカ18年」という言い伝えがあるが、このユズも実がなり始めるまでは随分と時間がかかった。一緒に植えた母は既に亡くユズの香りを楽しむことは出来なかった。

2012年11月14日水曜日

ルッコラでサラダ

 思えば自分の子どもの頃には栽培していなかった野菜が最近では身近なものになってきた。失われた20年間、景気は減退し昨今では浮沈とまで言われていた大企業がかつて経験したことのないような経営危機に陥っている。これらの企業で働く近親者のことを思えば人ごとでは済まされない。
 それはさておき、自分の町でも外食産業が進出したり大型のスーパーの進出に伴い食がバラエティに富み豊かになってきた。秋から冬にかけ私の子どもの頃には、栽培されていた作物もその品種が限られていた。白菜、大根、ネギ、ニンジン、里芋、菜っぱの類だったと記憶している。品種改良によりそれまで志摩では栽培されていなかった野菜が生育可能になったり外国の野菜が食の多様化によって普及してきた事もある。前述の定番野菜の他に私の菜園には山芋、球レタス、リーフレタス、キャベツ、豌豆、空豆、ホウレン草、野沢菜、わさび菜、チンゲンサイ、イチゴ、菜花、馬鈴薯、玉葱、わけぎ、三つ葉、カリフラワー、ブロッコリー、小かぶ・・・etcそしてルッコラが植えられている。本来我が国の固有種だと思っていた野菜も種の袋をよく読んでみると海外で採種されたものが多い。今育てている大根などは驚くなかれmade in Japanではない。

食べ頃のルッコラ
 さて、ルッコラのことであるが9月に種を蒔き育ったものから適宜間引きを兼ねてサラダにしていただいているが、ゴマの風味と独特の辛みと苦みが鼻腔をくすぐる。キャベツなどのせん切りにイタリアンパセリのみじん切りを混ぜさらにルッコラを手でちぎってドレッシングをかけるだけだが生野菜が美味しく感じるようになった。魚のムニエル等の脇に添えるのも今までとは違った一皿を食しているような錯覚さえ覚える。今日も数株採って来た。

2012年11月12日月曜日

雨上がり

間引き半ばのホウレン草
 昨晩はまとまった雨が降った。お湿りを頂くと菜園の様子が変わって見える。葉に積もった埃が洗い流され緑が濃くなることと、一日で野菜が大きく生長することに驚く。二時間弱の作業であったが空豆の不織布を全て取り去り野菜を収穫した。
 ほうれん草が数日前に間引きを済ませたにもかかわらず混み合って来たのでここから再度間引きをした。発芽率がいつも気になっているので蒔く種の量が多いためどうしても密植状態になってしまう。本格的な収穫までにはまだ2回は間引く必要がある。

ここは採りきれなかった。
 我が菜園はいろんな野菜を欲張って育てている。それぞれの野菜には個別の味わいがあり育ち方も違うので生育の状況を観察しているだけでも楽しいものである。カブを掘り、ブロッコリーを採り、小松菜、葉大根、しろ菜を抜き、ルッコラ、キャベツを採り、里芋、ユズそして大根を採って作業を終えた。春菊、白菜、野沢菜までは手がまわらず採りきれなかった。

2012年11月10日土曜日

志摩ギターの会への言葉

 志摩ギターの会も発足してから早や足かけ六年になるが、いつもあと5名ほど参加者が確保できればと思っている。毎回10名ほどは熱心な方々で発足後足を運んでいただいているが15~20名の方々は何回か前のリピーターの会員であったり新規の方になっている。前回のコンサートで会のあり方について何かご意見があれば拝聴したい旨、提案させていただいたが、今でも会員相互の交流が出来ればと願っている。
 そんな中、葉書とメールでご案内を差し上げたK女史より私個人的には、強制ではなく、都合がつけば気楽に参加できる今の「楽しむ会」が好きです。気の知れた仲間がギターを囲んでサンダル履きで集い、ひと時を共に過ごせる贅沢な時間だと思っています。というリプライのメールを頂いた。まさにサンダル履きで集いというフレーズはこの会をスタートさせたときのコンセプトそのものなので俄然意を強くした。演奏者の方々には本当に交通費程度しか差し上げられないが、会の継続のためにもご理解いただけたら幸いである。
 Dr.井本氏のブログには11弦ギターは確定しているが6弦ギターの選定に迷っていることが記されている。左手小指の関節に痛みがあり押弦の楽な張力の弱い楽器の方が都合が良いとの記述である。楽器を抱きかかえながらいつも楽しい話をしていただいているが今回はどのようなステージになるか楽しみである。

2012年11月7日水曜日

ポスター貼付

 船越町のY氏から鵜方のM眼科医院と調剤薬局で志摩ギターの会のコンサートポスターを貼らせていただけるようお願いしたという電話を頂いた。前回もY氏には交渉の労を取っていただいている。早速出かけポスターの貼付をお願いしてきた。目の具合の悪い患者さんばかりだと思うが見ていただけるだろうか?
豌豆の幼苗
  今日は小松菜を中心に葉物野菜の収穫と甘藷(鳴戸金時)を2畝掘る予定で出かけた。小松菜は丁度食べ頃であったが甘藷はコガネムシの幼虫に表面が囓られ堂々と人様に差し上げられるような代物ではなかった。来年は圃場を変更しなければならなくなった。予定外の作業はルッコラ、里芋、山芋(つくね芋)、三つ葉の収穫と冬野菜の生育チェックを行った。過日種を蒔き不織布で覆った空豆と豌豆(スナップ、絹さや、グリーンピース)が覆いを突き上げていたので取り払った。ここまで育てばもうカラスに食べられることもないと思う。冬野菜の見回りをしていたらブロッコリーがそろそろ収穫時期を迎えていた。いつもは9月に入ってから種を蒔き苗育てをしているのだが今年は7月下旬に種を蒔いている。台風で根が半分ほどちぎれかけていたものもあったがその後は順調に育っている。(アオムシは沢山発生しているものの。)
ブロッコリーが育つ

2012年11月4日日曜日

自家栽培の玉葱苗を植える

自家製の玉葱苗
 今まで玉葱の苗と言えば大抵ホームセンター 等で購入してきた。今年も大半は先日買い求め定植したのだが、種から育てることに挑戦してみた。中晩成の種を一袋買ってきて苗を育ててきたがそろそろ定植の時期が来たので一列植え付けた。難点は店で買うものに比べて生育の度合いに不揃いが出来てしまっていることだ。多分売られているものは選別もしていることだろうと思う。いずれにしても自家消費なので大きさや生育時期にバラツキが出てもさほど気にはならない。収穫したものを用途別に食べ分けたら済むことだと思っている。私にとっては種から育てたことに値打ちを見いだしている。

2012年11月3日土曜日

甘藷を掘る

 ここ数日畑に行っていなかったが、久しぶりに足を踏み入れると仕事が山ほど待っていた。ほうれん草、ゴボウ、小松菜、葉大根が間引きを訴えかけていた。自家栽培で育てたタマネギの苗もそろそろ定植を促している。畝に牛糞堆肥を鋤き込み二列の圃場を仕上げた。その内の一列にはチンゲンサイ、小松菜、小カブ、葉大根の本年度最終の種蒔きをした。作業途中いつも畑の前の道を通られる篤農家N氏が豌豆の蔓がよく育つように竹の枝をあげると申し出てくれたが海苔網に蔓を絡ませているのでお礼だけ述べた。
 ここまでが午前中の行動だったが久しぶりに畑で弁当を食べることにした。シャケと卵焼きと漬け物のシンプルな食事であるが、体を動かした後の空腹には何よりのご馳走である。あまりにも美味いので喉を詰まらせながら一気に空っぽの胃袋に収めた。小屋の前にブルーシートを敷きしばしゴロッと背中を伸す。気温が下がってきたせいか休憩を邪魔する昆虫たちはもうやってこない。少し風はあったものの空を見上げながら至福の時間を楽しんだ。
 このまま家に帰っても良かったのだが、芋畑をみるともうそろそろ掘っても良いように見えたので二列だけ収穫することにした。例年文化の日前後に芋掘りをしているが、今年は植え付けが遅かったので収穫の時期を延ばしている。干し芋用(志摩ではキンコ、私の町ではニッキンチョと呼んでいる。)と焼き芋用のものをそれぞれコンテナに山盛り一杯収穫した。この作業は以外と腰に応える。蔓を刈って、それを処分し黒マルチを剥がしスコップで掘り、しばらく乾燥させてからコンテナに入れ車まで運ぶのだが徐々に背筋や腕の筋肉が鈍ってくる。
 きりがないので今日は二列だけにして帰ることにした。日が暮れるのが早くなり夕方には汗が気化し体温が奪われるような季節になった。芋掘りは日を改め、残りを収穫することにした。N氏の話では霜が降り葉が枯れる頃までに掘ればいいと言うことだった。

2012年11月1日木曜日

コンサートの案内


コンサートのチラシ
 今日は志摩ギターの会定例コンサート(第12回)の案内状とチラシを作成した。あまり早く送付してもうっかりと忘れてしまうことがあるので最近は3週間前を目途に発送している。とは言え、この作業は自分一人でやっているので、ついつい延ばしがちになってしまうことが多い。  春のコンサートのチラシに上書きをしていく(手抜き?)作業なので時間はそれほどでもないが、全体のトーンは紅葉の色を意識した。
 経費を極力抑える意味でも手渡しが可能な所は郵送は控えさせていただくことにした。Y氏から会員相互の親睦もという課題をいただいているが時間の許される範囲で歓談の時間も設けたいと思っている。
 案内状は明日発送と言うことで第12回のコンサートはGo!ということになった。