志摩市もご多分に漏れず少子化の波と人口の老人の占める割合が極めて高くなってきている。高度経済成長期は有能な労働力の供給源として多くの若者達は都市部へと流れていった。真珠養殖業の不調が追い打ちを掛け元々あった零細な沿岸漁業も不安定な漁価と資源の減少で産業の基盤も危ぶまれている。土地の生産性を考えると過疎を危ぶむ志摩市の世論とは逆に過密状態なのかも知れない。さて、今日は市内のとあるスーパーに立ち寄ったところ私の前に危なげにカートを押しているお年寄りが見えた。カートには自分で持ちきれないほどの食料品や日用雑貨を満載していた。そのためレジを通過するのにも時間がかかり後ろで並んでいる私はじれったさを感じるほどであった。私と言えば本の数点の買い物だったし、何も後ろめたさは無いのだがなるべく早く主婦の皆さんで賑わう場所から立ち去りたい気持ちがあった。レジを出てからもこのお年寄りの方は通路の真ん中にカートを置き、買ったものを袋に入れ直している。人間それぞれ自分の時間がありその流れる速さの中で生きていけば良いのだが時として個人の時間の流れが他人に影響を及ぼしてしまうことがある。この関与を迷惑と捉えるかどうかは個人の問題だと思うがどうもスーパーの管理システムから見ると客の流れはスムーズであることを前提としているようだ。客単価、滞在時間、動線等全てが計算されている仕組みだと思う。お年寄りはなかなかこのシステムの流れに沿って買い物が楽しめないケースがある。私も少し足止めを余儀なくされてしまったついでにこのお年寄りを見ていると、このスーパーの店員さんは良くできた方でお年寄りの荷物を外まで持っていってくれていた。さらにその先にはタクシーが止まっていて、このお年寄りは吸い寄せられるように乗り込んで行ってしまった。昔ながらの対面販売をしてくれる近所の店がスーパーとの戦いに敗れ車という移動手段を持っていないお年寄りも遠く離れた大型店まで買い出しに行かねばならなくなった社会というのは住み良いとは言い切れない。蛇足ながらこのお年寄り、普通に見かける志摩のお婆ちゃんなのであった。
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