この森はもともと町有林だったが南側の茶園の所有者が購入している。この所有者も高齢のために雑木を伐採するような体力がなくなってしまった。既に道路を挟んだ西側の耕地は耕作が放棄され不在地主の手に渡ってから久しく今では森になってしまった。野生動物たちの寝床になっていて出来ることなら何らかの方法で伐採していただきたいところだが西日は遮られてもそれほど深刻な影響はないのでなりゆきに任せている。年に二度ほど道路まで侵攻してくる雑草と灌木は刈らせてもらっている。
さて、東側の森であるが数年前から適当に伐採しても良いという話になっているのだが私自身チェーンソーを持っていないしわざわざこのために投資しても・・・と言う気持ちがあったのでそのままにしてあった。作物によってはそれほど強い光を求めないものもあるので耕地の使い分けをしていたのだが、どうやらもっと光を当てなければならなくなってきたようになってきたようだ。
森が迫ってきている |
静かな正月であったが私にとっては退屈な日々でもあった。少なくとも三が日は農作業はやりたくても控えなければならない。私の生まれた町では昔は正月は5日までとするのが習わしであった。神事も5日間あり町の神社では獅子舞が連日奉納されていた。さすがに時代の流れか今では世間並みに三日までになったが正月早々に働くのは気が引けた。そんな町なのでどうも正月に野良に出るのは後ろ髪を引かれる思いがある。となると、家でテレビを見たりコタツに入ってゆっくりと過ごすのが良いのだがこのテレビが全く面白くなく見る気がしない。ニュースはともかくとして大晦日から見たい番組は皆無だった。大晦日と言っても第九とその後の昨年度来日した演奏家の特集程度だった。恒例とか言っている紅白・・・等は十数年来見たことはない。あのような番組制作のために毎月受信料を払っているのかと思うと納得できないままになっている。民放に至っては興味をそそられるものは皆無である。特に芸のない芸人たちの馬鹿騒ぎをかき集めた正月番組には自分たちの国の民度を疑ってしまう。旧い友人のブログを見ていたらよく似た思いが書き込まれていた。番組の構成や放映する内容が下品で面白さがなく、いくら商業放送とはいえ公共の電波の使い方を誤っているとしか思えない。見ていて不快感さえ感じるので近頃は時間つぶしにもならないと思い見ることは避けている。
そんなわけで今年の正月は畑小屋で音楽を聴いたり本を読んだりして静かにしていた。
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