2011年4月13日水曜日

コンパネが姿を消している。

 ここひと月の間、雨が殆ど降っていない。この地でも田圃に水を入れ田植えの準備をしているのだが、いつも畑の前を通るとき声をかけてくださるD氏はタンクで水を運ばれていた。 私も夏野菜の植え付けに取りかかっているが、このままではせっかく植えた苗が活着しなくなってしまう。私も300㍑入るタンクを持っているが、これをワンボックスカーの荷台に入れている。そのままでは部分的に荷重がかかりすぎ車を壊しかねない。そこで重量を分散させるためにコンパネを細工し荷室に敷く作戦をとった。 いつものコメリへ買いに行ったのだが目的のコンパネは一枚も置かれていなかった。仕方ないので片面に塗装が施されているものを購入することになった。震災の影響はこの地にもいろんな形で及んでいる。今回の災害は三重の地からは遠く、今のところ放射能や放射性物質の影響はないが東北の農家の方々の怒りは自分のことのように思える。農家だけでなく漁業に携わる人々の怒りも私には痛いように伝わってくる。地震や津波は天災だから我慢しろと言われれば納得するが、農地や海を汚すことは許容できない。三重県では高度経済成長の最中、四日市喘息で大騒ぎした。それだけではない、我が国では有機水銀、農薬、鉱毒、環境ホルモン、二酸化炭素、、、と挙げればきりがないほど環境問題には取り組んできた。考えてみれば今、東電という私企業が起こしている環境破壊はそのレベルからしたら比較にならない。 私は志摩の地で野菜作りを楽しんでいる。今日もカボチャを定植したりナス、ピーマン、トマト、瓜、プリンスメロンを植えてきた。前もって、苦土石灰で土壌を中和し近くの牧場から分けていただいた牛糞を堆肥にして鋤き込み、畝を立て、保温のマルチを張り、水をかけてきた。これからも毎日収穫の日が来るまで見守っていく。このようなワクワクする楽しみは何と言っても温暖な気候に恵まれた志摩の地と親から譲られた思い入れのある農地と、何ら汚染の心配のない自然環境が私の楽しみの根底にある。 海水によって浸食された農地は塩害のため数年は耕作できなくなったであろう。半減期が30年もあるセシウム、ストロンチウム、プルトニウムに汚染された農地は耕作不可能と言っても良いかも知れない。テレビのインタビューに出てくる農家の方々が30年後にも今の年齢でいるわけがない。60代以上の方々が日本の農業を支えているわけだが、30年後には90歳を超えていることになる。 作物を丹誠込めて栽培することは農家の喜びである。生き甲斐でもある。環境に対する犯罪のみならず、多くの人々から奪い取ったものの重さを東電は考えて欲しい。 放射能漏れに右往左往しているだけで、ただそのことだけに終始していて良いはずがない。その地に生きる人々を起点としたコメントが非常に少ないのは許すことが出来ない。企業だけでなく政府のエネルギー政策も、安易な安全基準を設定した当事者も責任を取って欲しい。 農家の人や漁業に携わる人は農地や海を汚しても良いとは一言も言っていない。

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