私、ジンクスなどは全く気に留めないタイプの人間だが、何を企ててもうまく行かない日というものがあるような気がしてならない。今日は正にその日だった。
朝から買い物を頼まれて出かけたのだが予定していたものが店頭には無かった。別の店に廻るほど買い物には積極的ではないのでそのまま帰宅した。さらに先日私の住んでいる区で不幸事があった。今年は区長という役職に就いているので香典を持って葬儀に行ったのだがこのお供えは自治会本部から出金されることになっている。立て替えという形で参列し今日は立て替えたお金を本部に頂きに行ったのだが祭日と言うことで誰もいなかった。無駄足だった。そして三つ目・・・これが一番焦った案件だった。そろそろ「志摩ギターを楽しむ会」のコンサート開催日が気になっていたので会場の確保に出向いた。しかし提案した4コマの日が全て使えないことが判明した。秋のコンサートは何としても暖房を入れなくても良い時期に開催したかったのだ。それはギターの醸し出す繊細なPPの音色を暖房の送風口から出される雑音で遮られたくないからなのである。
今日はこれ以上のことはすまいと思ったところである。
今日のことはそれまでとして、今年は菜園もいくつか失敗もしてきている。山芋(つくね芋)が何故か壊滅状態なのだ。いままでネットを張り丁寧に育ててきたが手を抜いたことと植える場所の日当たりが良くなかったのだろうと思う。差し上げる皆さんには好評な作物だっただけに何と言って言い訳をしようかと考えている。小生姜も良くなかった。ゴーヤのカーテンで日よけをしたり良いと思われることは全て手を尽くしたがこの時期になって葉が黄色く枯れ始めてきた。大生姜は好調なので救われた。ウリ、西瓜そして無花果も良くなかった。春先はよく雨が降ったし梅雨明けは晴天が続き何度も300㍑のタンクで水を運んでいる。盆が過ぎた頃から台風の影響もあったりして日照時間が圧倒的に少なくその上八月下旬から秋雨がずうっと続いた。作物にとっては試練の連続だったのではないかと思う。
年間を通して見れば不都合なことがいくつも重なっている。そんな中、気を取り直して今、秋冬野菜の植え付けや種蒔きを終えたところである。
2015年9月11日金曜日
さよなら友よ
輸血が原因でC型肝炎を併発し長らく病と闘ってきた友の訃報が突然入ってきた。父母の代から親しくお付き合いさせていただいていたし、私も高校が一緒だったため互いの家を行き来していた間柄だった。
進路はそれぞれ別だったが同じ志摩で暮らすようになった。互いに家庭を持ち仕事や暮らしぶりに気を配り合う仲だった。
この秋には画期的な飲み薬が出ると言うことで快癒を待ち望んでいた矢先の出来事だった。お中元の御礼の電話をした頃には彼の肝臓が長年の疲労によってかなり悪い状態で所々に腫瘍も出来ていたと言うことだったが、私は回復を間違いないものと信じていた。まさか彼に限って病魔に屈することはないと信じていた矢先の出来事だった。
この悲しみは筆舌に書き尽くすことが出来ない。自分の親を亡くしたときと同じような例えようのない寂しさと悲しさに包まれている。冥福を祈りたい。
進路はそれぞれ別だったが同じ志摩で暮らすようになった。互いに家庭を持ち仕事や暮らしぶりに気を配り合う仲だった。
この秋には画期的な飲み薬が出ると言うことで快癒を待ち望んでいた矢先の出来事だった。お中元の御礼の電話をした頃には彼の肝臓が長年の疲労によってかなり悪い状態で所々に腫瘍も出来ていたと言うことだったが、私は回復を間違いないものと信じていた。まさか彼に限って病魔に屈することはないと信じていた矢先の出来事だった。
この悲しみは筆舌に書き尽くすことが出来ない。自分の親を亡くしたときと同じような例えようのない寂しさと悲しさに包まれている。冥福を祈りたい。
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