クリスマス寒波の到来です。
畑の水槽には氷が張っていました。
今年は確かに気温が高く秋野菜の種まきや植え付けには苦労しました。白菜、ブロッコリー、カリフラワーは何度も挑みました。あまり世話のかからない大根や小松菜などは例年通りの生育だったのですが、白菜等は失敗だと言い切れます。
そんな中、ピーマンの頑張りには目を見張るものがありました。この写真は12月24日に撮影したのですが、薄氷が張るようになってもこのように枯れずに残っています。よく見ると実も付けているのです。数えてはいませんが、一本の苗から沢山の実を収穫し続けてきました。毎週、バケツに山盛り一杯のピーマンを採り続けてきたのですから、大豊作と言ってもいいと思っています。もともとここには牛糞の堆肥が敷き詰められていたのでその肥料効果もあったかも知れません。
昨日と今日はジャガイモを植えてきました。男爵6㎏、メイクイーン、きたあかり各3㎏そして食べ残しの種と合計14㎏を植え付けました。昨年と同様マルチは張らず追肥が施しやすいようにしました。
2010年12月26日日曜日
2010年12月4日土曜日
今日は音楽三昧
先週、山芋の収穫を終えたので今日は一日中家にいた。一昨日降った雨も気になっているのですが明日見に行けばいいと思った。それにしても150ミリは降ったのではないかと思う。
家に引きこもりを決め久しぶりに聴きたいCDやレコードがあった。週始めからずうっと考え続けていたことを今日は実行できた。旧い話だが私が初めてCarl Schurichtを聴いたのはバッハのブランデンブルグ協奏曲であった。テンポやppからffへのメリハリがありとても気に入り何度も繰り返して楽しんでいた。彼の最晩年の録音で比較的音も良かったように記憶している。しばらくしてからシューリヒトブームが到来した。フルトベングラー・トスカニーニ・ワルター達の陰に隠れてしまい、活躍を始めた頃にはカラヤンやベームの時代になってしまっていたように思う。そのあたりの時代背景はネットでいろいろと読むことが出来ので敢えて記さないが、日長音楽を聴き続けた次第。
午前(遅め)はブラームスの4番(1961バイエルン放送交響楽団)とベートーベンの「エロイカ」(1957パリ音楽院管弦楽団)を聴いた。例えが上手くないが音楽って泣けるものだと思った。また、録音の特性かも知れないが一つ一つの楽器のパートの輪郭がはっきりとしているように感じられた。
午後はブラのvln.Con(1954ウィーンフィル)とシューベルトの「未完成」モーツァルトの「ハフナー」を聴き夕方にはCDに切り替え「リンツ」「プラハ」(1961パリ・オペラ座管弦楽団)を楽しんだ。半世紀以上前の録音であるが私はそれほど気にはしていない。午後の部はオケがウィーンフィルと言う先入観も合ったと思うが、その違いがはっきりとわかってしまった。音色にふくよかさが漂い特に弦楽器の美しさは私のような者の耳にもはっきりと聴いてとれた。評論を読んでいるとオケの善し悪しが書かれていて、しかしいわゆる○○放送管弦楽団との取り合わせについて逆にシューリヒトの真骨頂が現れると書かれている。私も素人なりにそのように思う。聴いていて音楽にのめり込んでしまうのはウィーンフィルだと思うし、「エロイカ」のように泣ける音楽を聴かせてくるパリ音楽院管弦楽団の演奏も捨てがたい。どちらが良いとは言えないと思っている。
そういえば「プラハ」も若いときの思い出の曲の一つだ。ワルターの演奏に人気があるが私はフルベンで聴いていた。好みの問題だが個人的にはシューリヒトが好きである。パリ・オペラ座管弦楽団を意のままに操り、そこから醸し出されるピアニシモの美しさには心奪われるものがある。二楽章にその美しさを感じるのだが・・・
往年の大家の演奏も今は手軽に手に入れられしかも比較的リーズナブルな価格で楽しめる。音もそこそこ鑑賞に堪えられるものに仕上がっている。CDについて言えば期待以上のものが聴けるように思う。さて、レコードであるが旧いものであるにもかかわらずシューリヒトのものは結構良い値段で取り引きされている。再生装置を備えているユーザの数はそれほど多くはないと思うが良いものはいつまで経っても、その色は褪せないと言うことがわかるような気がする。商業ベースに乗り人気が先行していったものについては当時の販売価格の数分の一で取り引きされているが、シューリヒトやクナについてはその逆のような気がする。
一大ブームは去ったとされているが、根強いファンの存在やこの音楽が廃れないと言う流れには妥当性を感じる。聴くたびに新鮮な驚きと発見が期待され、私もしばらくはシューリヒトを聞き続けることだろうと思う。
家に引きこもりを決め久しぶりに聴きたいCDやレコードがあった。週始めからずうっと考え続けていたことを今日は実行できた。旧い話だが私が初めてCarl Schurichtを聴いたのはバッハのブランデンブルグ協奏曲であった。テンポやppからffへのメリハリがありとても気に入り何度も繰り返して楽しんでいた。彼の最晩年の録音で比較的音も良かったように記憶している。しばらくしてからシューリヒトブームが到来した。フルトベングラー・トスカニーニ・ワルター達の陰に隠れてしまい、活躍を始めた頃にはカラヤンやベームの時代になってしまっていたように思う。そのあたりの時代背景はネットでいろいろと読むことが出来ので敢えて記さないが、日長音楽を聴き続けた次第。
午前(遅め)はブラームスの4番(1961バイエルン放送交響楽団)とベートーベンの「エロイカ」(1957パリ音楽院管弦楽団)を聴いた。例えが上手くないが音楽って泣けるものだと思った。また、録音の特性かも知れないが一つ一つの楽器のパートの輪郭がはっきりとしているように感じられた。
午後はブラのvln.Con(1954ウィーンフィル)とシューベルトの「未完成」モーツァルトの「ハフナー」を聴き夕方にはCDに切り替え「リンツ」「プラハ」(1961パリ・オペラ座管弦楽団)を楽しんだ。半世紀以上前の録音であるが私はそれほど気にはしていない。午後の部はオケがウィーンフィルと言う先入観も合ったと思うが、その違いがはっきりとわかってしまった。音色にふくよかさが漂い特に弦楽器の美しさは私のような者の耳にもはっきりと聴いてとれた。評論を読んでいるとオケの善し悪しが書かれていて、しかしいわゆる○○放送管弦楽団との取り合わせについて逆にシューリヒトの真骨頂が現れると書かれている。私も素人なりにそのように思う。聴いていて音楽にのめり込んでしまうのはウィーンフィルだと思うし、「エロイカ」のように泣ける音楽を聴かせてくるパリ音楽院管弦楽団の演奏も捨てがたい。どちらが良いとは言えないと思っている。
そういえば「プラハ」も若いときの思い出の曲の一つだ。ワルターの演奏に人気があるが私はフルベンで聴いていた。好みの問題だが個人的にはシューリヒトが好きである。パリ・オペラ座管弦楽団を意のままに操り、そこから醸し出されるピアニシモの美しさには心奪われるものがある。二楽章にその美しさを感じるのだが・・・
往年の大家の演奏も今は手軽に手に入れられしかも比較的リーズナブルな価格で楽しめる。音もそこそこ鑑賞に堪えられるものに仕上がっている。CDについて言えば期待以上のものが聴けるように思う。さて、レコードであるが旧いものであるにもかかわらずシューリヒトのものは結構良い値段で取り引きされている。再生装置を備えているユーザの数はそれほど多くはないと思うが良いものはいつまで経っても、その色は褪せないと言うことがわかるような気がする。商業ベースに乗り人気が先行していったものについては当時の販売価格の数分の一で取り引きされているが、シューリヒトやクナについてはその逆のような気がする。
一大ブームは去ったとされているが、根強いファンの存在やこの音楽が廃れないと言う流れには妥当性を感じる。聴くたびに新鮮な驚きと発見が期待され、私もしばらくはシューリヒトを聞き続けることだろうと思う。
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