先月の末日に子供の頃から親しかった友人の父が逝去された。私は子供のころ体に自信がなく毎月のように熱を出していた。今なら簡単な売薬で越えられるようなものだったかと思うが当時母親が夜が明けるのを待ちかねて医者の所へ連れて行ったようだ。友人の父は古くから町医者として開業されていた。今は私の町にも相当数の開業医がそれぞれの分野で市民の治療に当たられているがあの頃のお医者さんの存在は有り難かった。
やがて成長するにともない医者とは無縁の健康な体を手に入れることが出来た。私は野菜ではないが幼苗期に逞しく育った野菜はその後も生育が順調だがそれとよく似ている。友人も父親のあとを継ぎ開業医として活躍しているが昔のお医者さんは何かに付けおおらかで午前中の診療を終えると午後は自由に時間を楽しんでいたようだ。その逝去された先生も午後からは一週間のうち半分は私の家に来られ父と囲碁にふけっていた。急患が出ると私の友はいつも父親を迎えに来ていた。
小さな町のことなのでその先生は住民にとって名士であった。私たち子供にとっても長い間校医として学校に来てくれていたので親しみがあった。無口な先生であったがその存在感は大きかった。寂しいかぎりである。