2015年9月23日水曜日

うまく行かない日

 私、ジンクスなどは全く気に留めないタイプの人間だが、何を企ててもうまく行かない日というものがあるような気がしてならない。今日は正にその日だった。
 朝から買い物を頼まれて出かけたのだが予定していたものが店頭には無かった。別の店に廻るほど買い物には積極的ではないのでそのまま帰宅した。さらに先日私の住んでいる区で不幸事があった。今年は区長という役職に就いているので香典を持って葬儀に行ったのだがこのお供えは自治会本部から出金されることになっている。立て替えという形で参列し今日は立て替えたお金を本部に頂きに行ったのだが祭日と言うことで誰もいなかった。無駄足だった。そして三つ目・・・これが一番焦った案件だった。そろそろ「志摩ギターを楽しむ会」のコンサート開催日が気になっていたので会場の確保に出向いた。しかし提案した4コマの日が全て使えないことが判明した。秋のコンサートは何としても暖房を入れなくても良い時期に開催したかったのだ。それはギターの醸し出す繊細なPPの音色を暖房の送風口から出される雑音で遮られたくないからなのである。
 今日はこれ以上のことはすまいと思ったところである。
 今日のことはそれまでとして、今年は菜園もいくつか失敗もしてきている。山芋(つくね芋)が何故か壊滅状態なのだ。いままでネットを張り丁寧に育ててきたが手を抜いたことと植える場所の日当たりが良くなかったのだろうと思う。差し上げる皆さんには好評な作物だっただけに何と言って言い訳をしようかと考えている。小生姜も良くなかった。ゴーヤのカーテンで日よけをしたり良いと思われることは全て手を尽くしたがこの時期になって葉が黄色く枯れ始めてきた。大生姜は好調なので救われた。ウリ、西瓜そして無花果も良くなかった。春先はよく雨が降ったし梅雨明けは晴天が続き何度も300㍑のタンクで水を運んでいる。盆が過ぎた頃から台風の影響もあったりして日照時間が圧倒的に少なくその上八月下旬から秋雨がずうっと続いた。作物にとっては試練の連続だったのではないかと思う。
 年間を通して見れば不都合なことがいくつも重なっている。そんな中、気を取り直して今、秋冬野菜の植え付けや種蒔きを終えたところである。

2015年9月11日金曜日

さよなら友よ

 輸血が原因でC型肝炎を併発し長らく病と闘ってきた友の訃報が突然入ってきた。父母の代から親しくお付き合いさせていただいていたし、私も高校が一緒だったため互いの家を行き来していた間柄だった。
 進路はそれぞれ別だったが同じ志摩で暮らすようになった。互いに家庭を持ち仕事や暮らしぶりに気を配り合う仲だった。
 この秋には画期的な飲み薬が出ると言うことで快癒を待ち望んでいた矢先の出来事だった。お中元の御礼の電話をした頃には彼の肝臓が長年の疲労によってかなり悪い状態で所々に腫瘍も出来ていたと言うことだったが、私は回復を間違いないものと信じていた。まさか彼に限って病魔に屈することはないと信じていた矢先の出来事だった。
 この悲しみは筆舌に書き尽くすことが出来ない。自分の親を亡くしたときと同じような例えようのない寂しさと悲しさに包まれている。冥福を祈りたい。

2015年8月23日日曜日

友からの電話

 長らくブログを更新していなかったため私の安否が気にかかったのだろう。昨晩友から電話があった。もしかして大病を患っているのではないかという心配の電話だった。元気にやっているよと気遣いに対する御礼を述べたが農作業も例年通り格別に変わりがないためブログへのアップから遠ざかっていた。
 同じような作業内容の繰り返しではあるが少しずつではあるが進化は続けている。昨日はトマトの棚を撤去し秋・冬野菜の畝の準備をした。昨年は生姜の出来が良かったので今年も柳の下のドジョウを狙っているのだが相手はなかなか気むずかしい。里芋の葉陰になるように植え付けているのだが直射日光が当たるので葉生姜の一部は枯れてしまっている。とは言え秋雨が降るまでは鹹水や除草は欠かせない。
 残暑が厳しく30分働いては一時間休憩するような働きだが熱中症にはかかりたくないと思っている。

2015年2月11日水曜日

干物作り

鰺の干物(これは保存用)
先週の雨上がりのあと三重外湾漁港の移動販売車で数種類の魚を買い求めた。町の魚やさんで買い求めるよりもはるかに安価かつ新鮮である。大衆魚が主流なのだが時々市場にはなかなか流通しないような希少種の魚を買い求めることが出来る。それも魅力で時々買いに行っている。冷凍庫にストックしてあったアジの干物がなくなったので今回は生の小アジを3㎏ほど買った。以前は開いて塩干しや味醂干しにしていたが最近は丸干しが主流だ。気温も低いので内臓が腐敗することもなく塩分が低くても干物にすることが出来る。風の強い晴天が二日も続けば手製の干物が完成する。干す時間や塩分が自分の好みに調整できるのが有り難いばかりかかなりリーズナブルなコストで美味い干物ができる。食べきれないものはお裾分けにしたり冷凍庫にストックすることになる。仕上がりであるが、市販のものとは比較できないような艶というか輝きがある。塩をまぶし魚の目が浸透圧で白くなる頃合いを(一時間強)見計らって余分な塩を洗い流し乾し網に並べるだけだが新鮮な材料でお日様と風の力を借りて作る干物は美味い物である。この鰺について気がかりな報道があった。鰺の漁獲高が急に減ってきているらしい。小鰺を養殖魚の餌にすることや海水温の変化或いは自然のサイクルによる等いろんな説があるようだが鰯、鰺、鯖、サンマのようにいつ買っても食べ慣れていて安心感のある魚の資源が減ってくると言うことは気になる。


2015年2月8日日曜日

日展を鑑賞

日展東海展の会場
友人の彫刻が日展に入選しているので仲間達と見に行って来た。絵画は見る機会も多く知人にも絵描きがいるので何かと蘊蓄は聞いており耳だけは肥えているのだが彫刻となるとその見方は全くの素人である。それにしてもY君のここ3年連続の入選は偉業であり私たち同級生としては誇りでもある。氏は自身のHPでも志摩の海女・彫刻・民俗学について情報を発信しており民俗については自分の足で逐一こまめに取材され読む物を深く納得させる内容だ。 彫塑のテーマは「志摩の海女」であるがそもそもこれを選んだのは氏の活動や関心事と符合し我々観るものを納得させる物である。
 彫塑の会場には若々しいモデルを使った作品が多いが彼の作品は厳しい海女漁が垣間見られるくらい労働が感じられる現役の年老いた海女が見て取れる。深い海の底で漁をするには美形のモデルでは体力的に役にはたたない。寒さから身を守るような分厚い皮下脂肪が腰の周りにたっぷりと付いた肉体の様に何とも言えないような生活感や存在感を感じる。老いて張りのない垂れ下がった乳房は隣にある若いモデルと比べれば見劣りするかも知れないが海女や畑仕事をしながら何人かの子どもたちに乳を与えてきた人そのものの生き様やたくましく生きてきた女性の美しささえ感じられるのだ。

Y君の作品
われわれ仲間達にとっても彼の入選は励みになる。制作を続けられ来年も再来年も連れだって展覧会に来ることを約して会場を後にした。

2015年2月3日火曜日

へぎ餅を頂く

へぎ餅
私の町では古くから大寒の時期に餅をつく習慣がある。雑菌のはびこるのが最も少ないこの時期に保存食としての餅をつくのは理にかなっている。今のようにお店に行けば好きなお菓子が手に入らなかった時代に一年中のおやつや軽食として作ったのはよくわかる。多くはあられにしていたが伸した餅をある程度切りやすくなってから薄く剥いで乾燥させるものもあった。その餅も白い物から色素で赤や緑に着色した物、紫蘇や青のりや醤油で味付けした物といろいろと味のバリエーションを楽しんできた。勿論最近ではこのような手間のかかる風習もめっきり少なくなり農家の人が続けている程度なのだ。へぎ餅にしたり霰に加工して一年間の保存食になる。店に行けば訳のわからないような調味料で味が付けられたアラレのお菓子が売られているが私は素朴な農家の霰が好きだ。餅米本来の甘さや風味が感じられほのかな塩味と餅の味が口中で絶妙に混じり合った味わいは捨てがたい。良く似たものがスーパーでも売られているがどうも余計な物が入っていて志摩の農家さんが作った物とは似て非なるものなのだ。安心安全ということ以上に味覚の上でも勝っている。
このへぎ餅はいつものN氏がわざわざ自宅まで持ってきてくれた物なのだ。一枚一枚味わっていただくことにする。(ペコリ。)

2015年2月2日月曜日

八朔の収穫

今年もとれた
毎年このころに家の離れ横にある八朔を収穫している。この木は母が植えたものだがかなりの老木になってきている。隣の家に伸びた枝がかかるので剪定も大変になってきている。昨日は収穫後に剪定をしていたら隣の小母さんに礼まで言われてしまった。計画的な剪定はしていないが毎年一個のコンテナに入れきらないほどの実を付けてくれている。たくさん採れて有り難みも少なくなってきているのだがスーパーで値段を見ると驚いてしまう。自分で栽培しているとタダのように思ってしまうがお金を払ってわざわざ買おうと思わないのは贅沢というものだろうか。
一月ほどエージングをして食べると酸味も和らぎ甘くなるのだが以外とフレッシュなものも美味いと思っている。採れたてのものを口中に含み奥歯で噛みしめると何とも形容しがたいジューシーさと風味が楽しめる。私なりに考えたのだが口の中で酸素と触れさせないで一気に噛みつぶし
甘いジュースを喉に流し込むことだと思っている。