2012年6月14日木曜日
有り難く拝受します
2012年6月13日水曜日
紅茶作り
私、子どもの頃友達の家で生まれて初めての紅茶を口にした。恐らくそれほど高級な物ではなかっただろうと思うのだが非常
に強い芳醇な香りを感じそれが感覚にインプリントされてしまった。以来、紅茶を飲む機会は増えていったがあれほどの感覚をくすぐるフレーバーに出会ったことがない。その後再び紅茶をよく飲むようになったのは学生の頃だった。普段はティーバッグで済ませていたがバイトで稼ぎがあったときはトワイニングの缶を何種類か買い込んでいた。入れ方も色々と凝ったが友人のN君の入れた物にはかなわなかっった。その後しばらく紅茶のことは意識しなくなってしまったが、最近いろんな銘柄を試すようになった。一応有名な物で美味いと言われるものも試したが、幼い頃に体験したあの感覚をくすぐるような香りには出会っていない。 近年感じるのだが、世界的に有名な産地の物よりも国産の例えば静岡産の物が私の幼児体験を彷彿とさせる味と風味を持っていたように思う。そんな中、以前から知ってはいたが紅茶作りにチャレンジしてみることにした。インドやスリランカとは気候も風土も違うが出来たての紅茶は香りが良いのではないかと期待しつつ、一昨日畑の周囲に残っていた茶の木から茶葉を1㎏程度摘んできた。この茶の木は志摩町越賀の在来種でずうっと緑茶として製茶していたものだが緑茶も紅茶も由来は同じ、ただ製法が異なるだけと言うことなので試してみることにした。一晩風通しの良いところに放置し、昨日それを1時間かけて手で揉んだ。この工程がなかなか骨の折れる仕事で、15分くらい揉んでいると汁が出てきてまとまりやすくなってくるが、揉む手が疲れてくる。途中かなり休憩を取りながら元の形とは違った状態になるまで揉み続けた。これで良いのだろうかという不安はあったが、今度はそれを発酵させる工程になる。25℃くらいの温度にすると、茶葉自体の酵素による発酵熱も加わり熟成するそうなのだが、生憎昨日は6月にしては気温が低かった。見回すと冷蔵庫があったので、その外枠の上部なら温度を保ってくれるのではないかと気づいた。この発酵の善し悪しが紅茶の味や風味を左右するらしい。5時間ほどその状態をキープし、次は乾燥の工程に入った。100℃の温風は家庭にはないのでフライパンにキッチンペーパーを敷き極弱火で乾燥させた。電子レンジやオーブンまで駆使しどうにか紅茶らしき物が完成した。早速試飲したが、色は薄めだったが味と香りは私の幼少時の味覚をよみがえらせてくれるものだった。入れる時間を長めにしたり、ミルクを入れたり色々と試してみた。ビギナーズラックで、たまたま今回上手く行ったのかも知れないし、次回同じ物が出来るかどうかわからないがmade in Shimaで美味い紅茶が出来ることがわかった。地産地消、耕作放棄された畑の周囲には茶の木がいっぱいあるし最近は春先の一番茶しか摘まれていない事を考えると二番茶三番茶を加工し志摩の特産品になっても良いのではないかと思った。思いつきはさておき、夏場に出た芽を紅茶にすると良い物がとれると言うことなのでその頃また作ってみたいと思った。
2012年6月12日火曜日
キャットタワーを制作
猫は元
々好きではなかったが、一年前から扶養家族になっている。私の部屋が好きなようでドアを開けっ放しにしておくと無断で侵入してくる。数組のオーディオセット、PC、レコード・CDの棚が所狭しと乱立している。どうもこの環境がいたく気に入っているみたいである。しかし、私の見ていないときに悪戯されるのはNGで積み上げてある物を倒されたり爪研ぎに使われるのはご免被りたい。猫は高いところに陣取り人間を見下ろすのが好みのようなので意を決しキャットタワーを作った。2×4の木材を2本買ってきて残りはスピーカー作りで残っていた板や廃材を使った。経費は500円程度で半日がかりで組み立てた。リビングに持っていき離れでデッドストックになっていた耐震ポールで天井と固定した。犬と違いなかなか人の言うことは聞かないが朝の挨拶でしきりに何度も体をすり寄せてきたりするので、これをプレゼントしたという次第。但し、猫には私から作ってもらったという感謝の気持ちは皆無である。
2012年6月11日月曜日
トウモロコシの雄穂
2012年6月10日日曜日
Günter Wandを聴く
私、TVはあまり見ないのだが、その理由はくだらない番組ばかりの一語に尽きる。特にゴールデンタイムに放映されている下品な芸をこれでもかと押しつけられる事には辟易している。人の美醜についてとやかくいうつもりはないが、話題、行動、芸風どれを取り上げても最早、美学的犯罪を犯しているとしか思えない。それらを芸と呼ぶには余りにも寂しく思えてならない。公共の電波を使ってこのようなものを見せられるのには不快感を感じる。限りなく低俗で面白くなく下品に感じるのである。そんな理由でニュースや芸術番組以外は興味をそそられない。決して安いとは言えない某国営放送も最近はどうも信用が出来ないと感じている。今朝は早く起きて
新聞に目を通していると国営放送の「ららら・クラシック」という番組欄にギュンター・ヴァントの名前があった。ヴァントは私の大好きなブルックナーの演奏で有名だが、解説では20世紀最後の巨匠で指揮者による独自の解釈を排除した折り目正しい演奏を聴かせてくれると言うことだった。作曲されたものはそれ自体完成品で後世の我々が余計な解釈をすべきではないという姿勢には共感を感じた。クラシックギターの演奏でも巨匠と言われた人のそれには時として違和感を感じるものがある。装飾音、トリル、ビブラート等々「○○節だ!(歌謡曲じゃないよ!!!)」と思わず言いたくなる。近年の演奏家は、いかに演奏すると良いのか研究されている人が多いので比較的安心して聴ける。さて、本題のヴァントの演奏だがハフナーと「運命」の二曲で北ドイツ放送交響楽団とN響の演奏だった。指揮者ヴァント70歳の演奏だが大器晩成と言われた由縁が伝わってきたように思った。
新聞に目を通していると国営放送の「ららら・クラシック」という番組欄にギュンター・ヴァントの名前があった。ヴァントは私の大好きなブルックナーの演奏で有名だが、解説では20世紀最後の巨匠で指揮者による独自の解釈を排除した折り目正しい演奏を聴かせてくれると言うことだった。作曲されたものはそれ自体完成品で後世の我々が余計な解釈をすべきではないという姿勢には共感を感じた。クラシックギターの演奏でも巨匠と言われた人のそれには時として違和感を感じるものがある。装飾音、トリル、ビブラート等々「○○節だ!(歌謡曲じゃないよ!!!)」と思わず言いたくなる。近年の演奏家は、いかに演奏すると良いのか研究されている人が多いので比較的安心して聴ける。さて、本題のヴァントの演奏だがハフナーと「運命」の二曲で北ドイツ放送交響楽団とN響の演奏だった。指揮者ヴァント70歳の演奏だが大器晩成と言われた由縁が伝わってきたように思った。
2012年6月9日土曜日
スズメが増えている。
キュウリやインゲン豆は何回かに分けて栽培し、長い期間収穫が楽しめるようにしている。特にこれらの作物は3度に渡り種を蒔いている。キュウリはぼちぼち実が生長し採れ始めたしインゲン豆も花盛りで蔓を大きく茂らせている。10日ほど前に二回目の種蒔きをしようとキュウリとインゲン豆の種を蒔いたのだがどうも様子が変だった。蒔いた所にすり鉢状の半径10㎝くらいの可愛い窪みが出来ていた。近寄って観察してみるとインゲン豆の種が地表飛び出していたり、そろそろ発芽しなければならないはずのキュウリの芽が出てきていない。まさかとは思うがどうもスズメの仕業のような気がする。以前、この畑にはあまりスズメは来ていなかったが最近よく目にする。鳥類だけの話ではない
が、昆虫類もよくよく観察してみると年によってある種のものが大量に発生することがあるようだ。目には見えないが作物の病気に関係する細菌やウィルスなども自然界では量的な増減をある種のバランスを取りながら繰り返しているのだと思う。気候や天敵そして人為的な要因が加わり時には野菜生産者を悩ませているのだと思う。今年はとにかくスズメが多いのである。見ていると仕草が実に可愛いのだが私が見ていないところでいたずらをしてくれている。仕方がないので種を買ってきて再度蒔くことにした。今回は直まきには変わりないが不織布でしっかりと覆って発芽に備えた。園芸店の店頭からは昨今ブームの省エネ対策のゴーヤなどは並べられているが、夏野菜の苗はすっかり姿を消している。この地這胡瓜は棚を作らなくても栽培でき、しかも秋キュウリとしても楽しめるので、二度目以降には毎年これを栽培している。キュウリは採れすぎて食べきれなくなったり、毎日収穫しなければすぐにヘビー級に肥大してしまうのでシーズンになると以外と管理が億劫になるのだが、わざわざ八百屋さんで買う気にはなれない。
2012年6月8日金曜日
Libertango
今から15年ほど前、名古屋に転勤になった友人を訪ねた。彼とはギター部で一緒させていただたいた仲である。自称レコードのコレクターでかなりの数のものを集めたと言っていた。酒を飲みながらお気に入りのコレクションを聴かせていただき、今となってはアナログからデジタルへ
の変換は目新しくもないが、単身赴任の殺風景な部屋の中で何枚かのCDを焼いてもらった。その中にはピアソラのものは無かったが彼はその当時ブラジルを始め南米の音楽にとても注目していた。最近北欧の車のCMにリベルタンゴが使われているのに気がついた。この曲、今までに何回か使われてきたがYO YO MA の演奏も聴きたくなったので購入することにした。YOU TUBE で手軽に聴けるのだがもっと上質な音で聴いてみたかった。MA氏のことはコンクールを総なめにしていた若い頃から演奏は注目していたのだが残念ながらLibertangoは持っていなくて是非手に入れたいと思っていた。
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla/1921-1992)は、アルゼンチンの作曲家、バンドネオン演奏家なのだが、タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させた独自の演奏形態を産み出したと言われている。ピアソラは、バロックやフーガといったクラシックの構造や、ニューヨークジャズのエッセンスを取り入れることで、強いビートと重厚な音楽を自由に展開させていて、私にとってこの曲は都会的な雰囲気を醸しながらも疾風のごとく焦燥感に駆られ走り続けるある種青年期の悲壮感さえ感じるのである。表題のリベルタンゴだけでなく組曲という形で入っている。南米の作曲家の作品には優れたものが数多くあるがクラシックの現代史の中で埋没されてしまっているものも少なくないように思う。もっと聴かれて親しまれても良いのではないだろうか。
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla/1921-1992)は、アルゼンチンの作曲家、バンドネオン演奏家なのだが、タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させた独自の演奏形態を産み出したと言われている。ピアソラは、バロックやフーガといったクラシックの構造や、ニューヨークジャズのエッセンスを取り入れることで、強いビートと重厚な音楽を自由に展開させていて、私にとってこの曲は都会的な雰囲気を醸しながらも疾風のごとく焦燥感に駆られ走り続けるある種青年期の悲壮感さえ感じるのである。表題のリベルタンゴだけでなく組曲という形で入っている。南米の作曲家の作品には優れたものが数多くあるがクラシックの現代史の中で埋没されてしまっているものも少なくないように思う。もっと聴かれて親しまれても良いのではないだろうか。
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